道徳の風俗化といふことが、昔から行はれて来たのである。為政者は口に道徳を唱へる前に、民衆の心理と、時代の動向をとらへればいゝのである。風俗を道徳的にのみ矯めようと努力するよりも、風俗の本質を見究めて、新しい出発を企図すべきである。
 目下の情勢に於て、国民の実力が発揮できないおそれがあるとしたら、それは、所謂、国民精神の涵養が足りないのでもなく、時局の認識が欠けてゐるためでもない。現在の国家的危機を国民自身の危機として痛切に感じないためであるとする説がまづ正しい。この危機を痛切に感じないといふことは、時局拾収の難事業を指導しつゝある国民の代表者たちの表情が、国民全体に向つて示さんとするところのものを適確に示し得てゐないところから来るのだと思ふ。
 お互にぎごちない身振りだけが目立ち、何を考へてゐるのかわからぬぐらゐ焦れつたいものはない。やがて、事実がわからせてくれるであらうと、国民はたゞ待つことに慣らされた。
 私は政府当局の誠意と国民の本心を信じてゐるけれども、これはこのまゝではいかぬと思ふ事実が一向に改らぬわけをいろいろ考へてみて、われわれは、今こそ、もつと、われわれ自身を知らねば
前へ 次へ
全18ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング