ならぬ時機だといふことに気がついた。それには、国粋主義の宣伝も結構であるが、現代日本の風俗よりみた国民の弱点について、これを単なる国民精神の問題としてでなく、現実の「たしなみ」の問題として、文化的に取りあげる必要を叫びたいのである。
五
われわれの祖先は、長い伝統によつて、今日まで、世界で特殊な、しかし、それ自身としてかなり美しい風俗を作りあげて来た。明治初年まで、国民はその風俗のなかで育てあげられたのである。明治時代は、所謂欧化主義の一時期を経過しながら、なほかつ、取るべきはとり、棄つべきは棄てるといふ一定の規準が個人及社会の生活を風俗の混乱から救つてゐた。
大正以来、様々な風潮の送迎に、国民は進むべき目標を失つた。日本的なものと封建的なものとの区別を忘れ、西欧的なるもの即ち近代的なりといふ誤認に到達した。そこから、鵺的な簡便主義を「文化的」の名で呼ぶ習慣が生れ、美の権威が衰へた。
旧習を打破し、しかも、外来の風になじまぬ一流が国民のなかに徐々に勢力をもちはじめた。最も敏感で自負に富む青年層の大部が常にその中心を形づくつてゐる。西欧の思想は思想として彼等の頭脳に浸潤しただけである。その思想を生み育てた風俗の伝統は、文学や映画を通じて芸術以前の魅力として受け取られ、これを模倣して得々たるものは、さすがに思想とは縁のない軽薄な手合のみである。が、それもまた現代風俗の混乱を示す一分子たる役目は演じてゐるのである。
わが国古来の風習も、その守られ方の如何によつて、時代にそぐはぬものとなり、われわれの生活の誇るべき表示とはならぬものが少くない。それは、たゞ旧いから陋習と云はれるのではなく、新しいものゝなかで生彩を発揮しない涸渇した形骸となつてゐるからである。こんなことは私が指摘するまでもなく、明治以来の新興国民道徳の精神がこれを教へてゐるにも拘はらず、それだけではどうにもならなかつたといふのは、かゝる陋習さへも必要とされる生活自体の形成の欠陥を誰も補足しようとしないからである。政治の責任がこゝにないであらうか。
六
公衆道徳の訓練をしなければならぬといふものがある。いや、それよりも前に、個人道徳の確立が急務であるといふ説もでる。
私はそのいづれにも半分づゝ賛成であるが、その目的を達するためには、これまで行はれてゐたやうな方法で
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