追求することによって、美に到達する道です。人格の完成という場合に於ける道徳的善と、美の創造を目指す真の探求とが、芸術家としての生活に於てどう調和するかという問題は、なかなか厄介な問題で、昔からいろいろ論議されていますが、原則として、そこには決して矛盾はないと思います。それが矛盾するように見えたり、或る場合には、自分でその矛盾に苦しんだりするのは、いずれも修業の道程に於ける未習熟の結果であります。ただ、芸術家は、そういう現象をいい加減に胡麻化さないだけであります。俳優が一人の社会人として生活する、その態度のなかにもしそういう問題が起ったとすれば、それは先ず次のような三つの場合に限るだろうと思われます。
第一に芸術家は真面目であるということと厳粛であるということとの区別をはっきり知らなければならない。真面目であるということは、例えば、人間としての過ちを犯さない為に、戦々兢々として日常の生活の細かい部分まで気を配って、苟くも人から誤解を受けないように言動を慎むとか、あらゆる慾望をできるだけ制して常に無難な道を歩こうと努力する、そのような態度が普通真面目といわれているので、人としてそういう態
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