みて、俳優の社会的地位の低かったことは争えない事実ですが、そこから、世間の軽蔑も生れているのです。「河原者」などという名はもとはそういう所から起ったのでありますが、しかし、歌舞伎が非常に発達し、劇場としての経済的基礎も出来、演劇そのものが社会の上層まで趣味として入り込んだそういう時代でも、やはり芝居小屋は所謂「悪所」のひとつと見做され、芝居をする人間即ち俳優を、世間は蔭で「河原者」とよんで、何か素性のいやしい人間のように見ていたということは、これはそもそも何に原因するのでしょうか。
封建時代のそういう考え方は、どうして次第に改められなかったか。その原因はやはり俳優自身の社会的存在がまだ十分一般に認められない、つまり社会的地位が十分に出来なかったということに帰する。何故そうであるか、何故そういう風に俳優の社会的地位は出来なかったか。非常に大勢の人を娯しませ、場合によっては大勢の人を感動させ、芝居を見に行くということがかなり高尚な娯楽となり、趣味となった時代でさえも、なおどうして俳優の社会的地位が向上しなかったか。それはつまりこういうことだと思います。
大衆は自分たちを感覚的[#「感覚
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