のだけを使って、そこに一つのものが仕組まれたように考えられている。しかし実際はそうではない。もし単にそういうものであれば、ラジオ・ドラマというものは非常に単調で味いの浅いものになります。むしろ、それ位ならば純粋の音楽をきいている方がいいようなものです。ところが、ラジオ・ドラマというもの、つまり人間が肉声によって一つの物語を伝えるということは、必ずしも耳だけに訴える感覚ではなくて、同時に人間のあらゆる他の感覚、殊にラジオで一番縁の遠いように思われる眼の仮感というものに訴える要素が十分なければならないのです。つまり、声をききながら、ものを見ているような視覚、眼の仮感に訴えることが第一番です。ある女の人の声をきく。ラジオですからその女の人は勿論なんにも見えない。しかし、その女の人の唇の動き、その唇の間から見える歯のならび、その女の人の息づかいから感じられる鼻の微妙な動き、声の調子から考えられるその人の眼つき、そういうものが仮感として、聴いているものの脳裡に浮び出て来なければいけない。そういうようにラジオ・ドラマというものは書かれているし、また語らなければいけないのです。だから耳に訴える要素だ
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