物はただ単に俳優の演技の魅力によって自分の心を楽しませて貰うばかりでなく、演劇芸術というものを通じて精神の糧を得ているのです。俳優は公衆から愛されるばかりでなく、人間として芸術家として、それ相当な尊敬を受ける資格があるのです。この尊敬をかち得るのでなければ、俳優の仕事は実に惨めな仕事と云わなければなりません。われわれは友達を持っている。しかしその友達が自分を楽しませてくれる、自分を喜ばしてくれる、ただそういう友達であったならば、その友達は別に有難い友達とは云えないでしょう。その人格に於て、その学識に於て、またその才能とか、友情とかに於て、真に尊敬に価する友達であって初めて心を許すことができるのです。芸術家もそうであります。ただ楽しませるだけの芸術家は、芸術家という名に値しない。そういう商売は、他にそれぞれ名称を与えられております。
ここで芸人と芸術家の区別がはっきり分れるわけです。見物こそはあなたがたの全生命の支えであり、公平な審判者であり、罪のない信者であります。
もう一つ批評家があります。俳優や作家、つまりものを作り出すものと、その作ったものを批評するものとの関係は、また一つの面白い問題でありますけれども、それはここでは略しましょう。
職業人としての誇りと嗜みというなかで最後に云いたいことは、俳優のいわゆるスター心理というものです。俳優が少し有名になって、いわゆる贔屓がついて来たというような気持になって来る。ファンから手紙がくる。企業家が御機嫌をとるようになる。こうなると、人間の常として、いわゆる偉くなったような気持がする。偉くなったら、偉くなった気持であって少しも差支えありませんけれども、俳優の場合の偉くなり方というものには、非常にまた微妙な警戒が必要なのです。何故かというと、他の職業であれば、偉くなれば偉くなったで、それ相応の扱いを社会がする。それ相応の扱いを社会がするのみならず、その当人の偉くなり方が少し変ならば、直ぐひっくり返されます。足下が直ぐ危くなります。他の社会は総てそうであります。文学の世界でもそうです。ところが俳優の世界では、その俳優が変な偉くなり方をしても、案外、当人に誰もなんとも云わないのです。これが俳優の場合、所謂変な偉くなり方をすることが多い最大原因です。そうして変な偉くなり方をした役者はどういうことになるかというと、それと同時に
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