す。それでこそ立派な俳優と云えるのだと私は思います。そういう態度で生きていることは、今度は逆に自分のもっているあらゆる肉体的精神的魅力を駆使して、舞台の上で与えられた役を、十分に演じ活かすことの訓練になるのです。
 そうであって、初めて、自分以外のある人物の魅力を頭のなかで立派に作り上げて、観衆を楽しませる能力があるというわけです。ですから、俳優の立派であるか、へっぽこであるかということは、それは決して舞台の上にあがって、ある役を演じてはじめてわかるのではない。平生、彼が人間として、どこか素晴しい魅力があるかないかということで判断がつくのであります。
 そこで、自分の役を立派にやるということに、更に附加える一つの条件がある。その自分というものが立派であるに越したことはないということです。名優というものはそういう意味でどこか立派な自分というものを持っている。そうして、立派な自分というものを、平生立派に演じているわけです。これが名優中の名優です。「どこか立派」と私は云いましたが、これは人間のことですから、すべての意味に於て立派であるということは、望むべくしてなかなか実際にはそうはいきません。例えばいろいろな職業、いろいろな仕事によって、その人間の立派である部分がそれぞれ違っていて差支えないと私は思う。その人の特性というものがすべての点で人に優れているということは理想である。そういうことは事実望めない。それぞれの社会のいろいろな部門で働く人々が、自分の役割を完全に果すうえで、一番都合のいい特質を備えていることが必要であります。しかし、それとは関係なく、ただの人間として、どこか一点、人にすぐれているところがあっても差支えない。
 俳優は、そういう具合に、どこか一点人より優れているということが大事であります。俳優の場合は、特にこれが必要だと思う所以は後で述べますが、決して、顔かたちが人より美しいというようなことを指すのではありません。それよりも寧ろ、個性の伸び育った美しさを持たなければならない。その上でその自分を立派に平生演ずるということは、そういう自分を完全に表現するということです。ところが、俳優以外の人は仮りに或る点で非常に立派な個性をもった人であるとしても、しかしそういう立派さというものをどうかすると拙く表現する場合が沢山ある。ですから、見るものが見なければわからないと
前へ 次へ
全53ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング