る。勿論ギリシアとかローマとかいう時代の劇場と近代の劇場とは、その収容人員とか劇場の構造という点では非常に違ってきた。昔は非常に解放的であったのが、今日ではどちらかというと閉鎖的になってきた。別の言葉で云うと、昔は露天でいわゆる屋外的趣を持った一つの集合場所であったが、今日では一つの屋根のある建物のなかで、どちらかといえば室内的なものには変って来ましたけれども、ともかくも集団として娯しむ芸術として、殆ど唯一の名残を止めているのが演劇であります。従って今日の演劇は他の芸術に比べて、集団で鑑賞する、或は逆にいえば、多くの人々を同時に娯しませる、多くの人々に同時に訴える特殊な芸術として、もっとも昔のままの姿を完全に伝えている芸術だといえる。そうしてこれが演劇の恐らく根本的に他の芸術と違うところである。
 従ってその芸術をいとなむというその仕事の中で、俳優はやはり観衆という集団を相手としている。恰も原始民族が一つの群衆となって神を祭った如く、今日の観衆は舞台という祭壇を通じて芸術の神、ミューズの声をきこうと願っている。そのミューズの声を昔の聖職者の如く民衆に伝えるのが即ち俳優なのであります。それと同時に俳優は今日もなお、一つの劇場に集るところの大衆の、人間としての本能、即ち先程もいいましたようにいろいろな意味に於ける近代人の夢を、俳優の演技というものを通して初めて現実の仮感として自分の身に感じることが出来るのであります。いいかえると、俳優はそこにいる大衆のすべての一人一人に代って、それらの大衆の夢を育てている魔法使です。
 そこで、人間というものを先ず考えなければならない。人間の夢と私はいいましたけれども、人間の夢というものは実に厄介なものである。非常に美しい夢もあるけれども、しかし、美しいばかりが夢ではない。人間は複雑である。その人間が複雑であるほど夢も複雑なのであります。人間は神に近づこうということばかりを夢想しているのではない。人間は自分にいろいろな弱点をもっている。そして、そのいろいろな自分の弱点を、ある時は否定し、ある時は肯定し、ある時はそれを抑圧するけれども、ある時はそれを利用する。人間は様々の欲望を様々な形でとげようと望んでいる一つの動物なのです。そこで人間というものを必要以上に美しく考えることはない。人間の本来の姿は美しくもあり醜くもある。非常に神々しくもあ
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