自分を理想的な姿に於て空想する、――寧ろ幻想するという言葉を使いたい――そういう一つの夢を抱いている、そういうものを自分の頭の中に描き出す、という、そういう人間の本能です。そういうことを実際にして見せる、自分でいろいろな欠点を持ち、いろいろな弱点を持っている人間、その人間がいわゆる完璧な神の姿として現われるということは、これは人間の一つの夢であります。そういう夢を悉くの人間は本能的に持っているものなのである。その夢を実際ある瞬間にでも実現することができる人間というものは、非常に選ばれた人間であった。そういう選ばれた人間が神と人間との媒介をなし得るのです。従って聖職者は、そういう人間の夢を豊富にもっていて、その夢を普通の人間にはでき得ない所まで実現し得る才能を持った人間であったのです。
そこで次第に原始民族のお祭という形式が、複雑になり、進んでくると、お祭のなかに於ける芝居の最初の芽が段々伸び育って、お祭が複雑になると同様にその芝居というものも複雑になってくる。そうしてそこに、原始演劇というものの形がはっきり現われて来るのです。
その原始演劇というものの形はどういうものかというと、唯一人の聖職者が一般の民衆に代って神に祈り、また自ら神の代理として民衆に接し、また時として悪魔の声をさえも、民衆にきかせるだけのことでなくなってきて、そこで、もっと複雑な仕組みが生れてくる。聖職者のいろいろな空想が、ある仕組みによって一般民衆に示されるということになる。
ここで、簡単な例を挙げると、最初はこの聖職者は神に代って民衆に一つの神の言葉を伝えていた。ところがその神の言葉を更に註釈し、敷衍し、そして、それらに対してもっと現実的な効果をあげる為に、ここに一つの物語を仕組む。その物語を最も直接に民衆の目、耳に訴える為に、最初に自分が神の言葉を語り、悪魔の声を放っていたのが、それぞれここに、神に扮する人間を作り、悪魔に扮する人間を作り、神と悪魔とのいろいろな力に支配されている所の人間或は人間群というものをそこに作り出し、そうして一人一人の人間にそういう役をあてがって、そこに一つのスペクタルを作ってみせる。その場合、聖職者はその演出家であったのです。時としてはまた、そのなかのある役に聖職者自身も扮していた。この原始演劇の形は、勿論極く漠然とした記録によって、それを想像するのですけれども
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