厚くて、肩が怒つて、膝が曲つてゐて、お喋べりで、感情家で、無鉄砲で、一国者で……そして、それはイプセン自身なのである。自分を主人公にして悲劇を書くほどおめでたい作者は、西洋にはそんなにゐないやうである。
ピトエフ一座の「幽霊」を観たのはそれから後である。ルメエトルが以て不可解なりとした「北方の女」は、私には存外うなづけるのであるが、此の芝居は役者が下手で少々観づらかつた。ピトエフのオスワルドはただ陰惨な顔をしてゐるだけだつた。尤も此の戯曲などは、所謂喜劇の部類にははひらないやうである。
その次に、コラ・ラパルスリー夫人の経営に移つたモガドオル座で、製作劇場の俳優を中心とするペエア・ギュントを観た。
衣裳などはわざわざ諾威から取り寄せるといふほどの凝り方だつたが、その割にデュボアの舞台装置は平凡で、期待を裏切られた。ただ、オーセに扮したのは、かのデプレ夫人であり、ソルヴエイヂが、クリスチヤアヌ・ロオレエといふ無類の美少女であつたことは忘れ難く、ペエア役のアンリ・ロオジェも一と通りあの大役をこなしてゐたやうに思ふ。私は、イプセンの戯曲を読み、此のペエア・ギュントの第三幕目、オーセの死に至つて、彼が最も親しむべき戯曲家であることを知つたのである。私は此の場面が好きだ。古今東西を通じ、私の知つてゐる戯曲といふ戯曲の中で一番どの場面に感心したかと問はれれば、私は躊躇することなく、「此の場面」だと答へるだらう。
私が巴里で観たイプセン劇はたしかそれだけだつたと思ふが、よく考へてみると、デプレ夫人や、フェロオディイのやうな、或はまたルュニュ・ボオのやうな、特別の役者でさへも、仏蘭西人は結局、諾威人に扮することが出来ないのではないかと思つた。それはジェミエが日本人に扮するよりも難事ではないかと思はれる。或はまたそれ以上にスカンヂナヴィヤの劇を、仏蘭西語で演じることが無理なのではあるまいかとさへ思はれた。
さう云へば思ひ出すが、ポオレット・パックスといふサラ・ベルナアル座の女優を、一度ピトエフが「海の夫人」に見立てたことがあつた。その時に私はつくづく民族の距りといふものを感じた。同じ白人種間に於てでさへ、翻訳劇演出の困難は想像以上である。イプセンの戯曲を読んだ後、これを巴里の舞台の上で観て、実際私の得たところは、此の感想以外の多くのものではなかつた。
底本:「岸田國士
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