市君は、息を切らして、あふむけに、ごろりと寝ころんだ。
遠山三郎は、すつかり酔ひを奪はれたかたちで、挨拶もそこそこ引き上げた。
夫の服を脱がせ、床に就かせる細君の手並は鮮かなものだつた。それは、張合のあることのやうでもあつた。却つて、平生よりもいそいそとしてゐるかのやうにみえた。
しかし、浦野今市君は、細君に一と言も口を利かうとしなかつた。酔ひ方が今までとまるで違つてゐた。鼾までどこか淋しさうであつた。
細君は、その淋しさを、いろいろに考へた。そして、なかなか寝つかれなかつた。
翌朝、浦野今市君は、子供たちと一緒に眼をさまし、元気よく床から跳ね起き、庭へ出てラジオ体操をした。
細君は、チャブ台を拭きながら、さう云ふ夫の方へ軽く笑ひかけた。浦野今市君は笑はなかつた。が、急に、長女の名を呼んで、
「さあ、二十日大根の種を持つといで」
朝の陽が、黒々とした土の上に落ちてゐた。
底本:「岸田國士全集26」岩波書店
1991(平成3)年10月8日発行
初出:「毎日新聞」
1943(昭和18)年3月20日〜30日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点
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