なりと感ぜしめるのである。
都市文化の跛行性がそこから生れる。町内の政治は必然的に移住者たる勤人階級の参加を拒み、局地的な施設は主として金利生活者の選択に委ねられ、祝祭の行事は最も文化的教養の低い階級によつて多くはリードされつゝあるのである。
例へば町内に神社を建てるとする。その境内を装飾し、これを小公園とする案は先づ通つた。ところで、この相談を町内に住む建築家や造園技師にもちかけたといふ話が今まであつたらうか。
また、例へば、出征兵士の送迎をするのに、町内の人々はそれぞれ集つて趣向を凝らすが、その儀式的な形態について、それがほんとに厳粛で荘重なものであるかどうかを、いつたい誰が批判するのだらう。町の祭典の装飾について、その音楽について、行進について、余興について、嘗て一度でも、美術家や音楽家や演劇関係者が、町民の資格をもつてその企画に口を出したことがあるだらうか。私は寡聞にしてそれを知らないのであるが、どこの祭典を見ても、さういふことが行はれた形跡すらないと断言し得る。これでいゝのであらうか?
七
かういふ問題をひろへばきりがないけれども、要するに都市文化の
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