独の心理となり、「遊び」は暗黒の中に追ひ求められるのである。

       六

 都市生活の明朗化のために、私は、以上のやうな娯楽の観念の徹底的反省を要求するが、更に、問題になるのは、市民の雑居的性格である。
 第一に、有閑無為の階級もあるにはあるが、勤労者の悉くは、あまりに忙しすぎる。従つて、隣人同士が口を利く機会さへないのである。主婦同士は、近頃、隣組制度のお蔭で、ぼつぼつ近づきになりつゝあるやうだが、男同士は道で遇つても顔を覚えてゐないくらゐである。忙しすぎるといふのは、よく働くといふのとはやゝ違ふと思ふ。お互に自分のことを考へてみればわかる。役所や会社の仕事はだらだらしてゐて、そのくせからだが空かないやうな仕組みになつてゐるし、義理の交際がこれまた勤務時間の延長を強ひるやうなものだし、住居が不便なところだと、帰る前にビールを一杯ひつかけたいし、といふやうなことで、家に帰るともう身心ともにくたくたである。
 ラジオでは盛んに岡本さんの「隣組の歌」を合唱してゐるけれども、なんだか、そのへんのサラリーマンは、茶の間の畳の上に寝そべつて、「うちは女房のゐるところ、隣はあつても用がな
前へ 次へ
全29ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング