上程度の学力あるものを、その他のものゝ約百分の一と考へてみよう。実際はそんなにないかも知れぬが、都会に育つといふことは、ある意味で、本人の努力と野心が伴へば、学校は早く切りあげても、知的教養の水準はいろいろの方法で高まるものである。かういふ風に見て来ると、都会はともかくも、知的な需要を満たすひとつの場所でもあり、また、知的なものによつて動かされても行く一個の国民集団であると云へるのである。
知的な文化設備の必要もそこから生れるが、また、その設備の程度、即ち量と質との観察によつて、その都市の文化程度、それが若し、一国の首都であれば、その国家の文化水準が推し量られるわけである。
市民の知的な誇り、国民の文化的優越感は、それゆえに、常にこれが完備を目標として進むのが世界各国の例になつてゐる。政策的にも亦、単に教化の資料とするに止まらず、これをもつて国家が外国に自国文化の高度を誇示すると同時に、国民の自負、即ち祖国への愛と尊信とをかち得る一手段としたのである。
わが日本は、さういふ形で国民の自負心を煽る必要は、さうさうないであらう。しかしながら、一国民の、他国民に向つて「これを見よ」と云
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