―なるほど、「文学を愛する事」を愛する奴のなかには、おれの判断によると、田巻がコーヒーを好むといふやうに、一種の現代的迷信乃至は流行心理に囚はれ、単純な見栄と自己陶酔を含む、もつともユウモラスな稚気の持主もあるにはあるが、彼の場合は、必ずしも、さうとばかりはいへないよ。
――なに、それだけさ。その証拠に、あいつの書くものは、こと/″\く、自分が如何に主義のために献身的であり、文学のために忠実であるかを吹聴したものばかりぢやないか。あんな作品は、自家広告以外、何の役に立つと思ふ?
――自家広告とはいへないさ。さういふ邪念はないよ。
――そんなら、自己紹介でもいい。「おれはかういふものだ」といふことを書くだけなら、昔から、自然主義の亜流がやつて来たことだ。もつと謙そんな態度でやつて来たことだ。
――謙そんでもなからう。
――兎に角あの男を、さういふ風に見るのは勝手だが、あゝいふ傾向の文学を文学と呼ぶ以上、あれはやつぱり、一種の理想主義的文学と見るべきだらう。
――いや、おれがいひたいのは、そんなイズムについてぢやないんだ。あの男についてなんだ。人間としての田巻安里は、今日の文学者の一つの型を代表してゐる、この型は、必ずしも理想主義者の中にばかりあるのではない。おい野添、お前も、幾分、この部類だぞ!
――馬鹿いへ!
さて、野添と呼ばれた男は、真青な顔をして起ち上つた。彼は、さつきからウイスキイのコツプを次ぎ次ぎに注文し、女給が、驚いたやうな眼をして、「まだ召上るの?」と訊ねても、黙つて、空になつたコツプの底を皿にコツ/\と当てゝゐた。彼は飲みはじめると、バアを五六軒歩かないと気がすまぬ男だとされてゐる。もつと正確にいへば、さうしないと、自分で気がすまぬと信じてゐる。
――そんなら、お前だつて「女を愛すること」を愛する部類の人間だ。大きなことをいふな!
主知的感傷派と自称する彼は、そこで、人間が今日、総てのものを、直接に愛するだけで満足しなくなつた傾向について論じはじめた。愛書癖を、その好適例として持ちだした。われわれが、何々を愛するといふ態度のなかに、田巻安里のコーヒーにおけるが如きものを見ない場合があるかと喝破した。旧くは骨とう[#「とう」に傍点]にしろ、盆栽にしろ、釣りにしろ、新しきは、登山にしろ、銀ブラにしろ、西洋煙草にしろ、趣味を離れては技術
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