めるばかりでなく、その国のあまたの社会現象、特に時代の風俗に気品と底力を与へ、文化水準の高さを如実に示すことになるのであります。
嘗て、スエーデンの植物学者でツンベルグといふなかなか眼の利いた人物が、日本に来たことがあります。それは今から三百年前の昔でありますが、当時、西洋人と云へば、東洋の一孤島日本について何ほどの知識も持つてゐません。ツンベルグも、恐らくこゝでは、異国的な風物に務して、一方学問上の研究資料を蒐め、一方、珍しい土産話でも仕入れようといふぐらゐの気持で、はるばる海を渡つて来たのであります。
ところが、長崎から江戸までの長い旅をしてみて、彼は沿道の景色に見とれる代りに、そこに住む人々の、予期に反して、「文明人」であることに驚嘆の声を放ちました。彼が云ふ「文明人」とは、もちろん、単に未開野蕃の徒に非ずといふ意味よりはもつと強い、「立派な文化をもつた国民」といふつもりであることは、彼の道中の日記を読めばわかります。
こんなことは、ツンベルグに教へられなくてもわれわれは承知してゐますが、その頃の西洋人で、さういふ観察を下したものは稀であります。主として、日本の民衆が礼儀正
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