それはあまりに「食ふ」だけのための部屋でありすぎる淋しさなど、日本人でなければわからぬ消息であります。
 食事に至つては、ますますこの感が深い。第一に、食事といふものに対する日本人本来の考へ方が、西洋人のそれとは非常に違ふのです。キリスト教でも、食卓での神への祈りといふものはありますが、日本人には、日本人固有の食生活精神といふものがあつて、食前に「戴きます」と云ひ、食後に「御馳走さま」と云ふ挨拶は、決して、今行はれてゐるやうに、子供が親に、客が主人に向つてのみするのではなく、そこにはもつとひろい、この「食物」をわれに与へるもろもろの力、もろもろの恵みに対する深い感謝が籠められてゐる筈であります。
 それにつれて、「食器」に対する考へ方も、まつたくほかの国々にはみられない厳粛で温かみのあふれたものです。茶碗と箸とは家族の一人一人がそれをめいめいの持ち物として、恰も身体の一部のやうに扱ふことも他に例がありません。そして食器の一つ一つは、形と云ひ、色彩と云ひ、それぞれの用途と、それを用ひる人の人柄に応じて変化を極め、やゝ改まつた食事の膳立をみれば、献立の配合の妙と共に、それが如何に綜合の美に
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