れてゐるとは云へませんが、これを引戻して本来の面目に帰することこそ、現代の日本人の急務であり、新しい国民文化建設の基礎工作であります。
 家督、家名、家風、家憲などといふ言葉に現れた、日本の「家」の性格は、一国一家、君民一体の大精神をその血液のなかに宿してゐて、はじめて光輝ある伝統となるのであります。
「家」の祭りは国の祭りに通じ、家の名誉は国の名誉につながり、家の風格は国風《くにぶり》の流れに添ひ、家の掟は、臣民の道にもとづくものでなければなりません。
 かうして、日本の「家族」は、家長を中心とする国土の一単位となり、子孫の育成を本務とする国民道場の一段階となるのです。
 そこでは、儀式と起居と団欒との多彩な生活環境のうちで、われわれの、真に「生きる」道と目標とが教へられ、両親の膝の下で、懇《ねんご》ろに、また厳しく、「躾《しつ》け」が施されます。
 この家庭における「躾け」については、後の章で詳しく述べるつもりですが、そもそもこれは国民錬成の基礎ともなるべきもので、一家の盛衰はもとより、一国の消長にすら関はる重大問題であります。そして、「躾け」の見事な効果は、単に個人と家の風格を高めるばかりでなく、その国のあまたの社会現象、特に時代の風俗に気品と底力を与へ、文化水準の高さを如実に示すことになるのであります。
 嘗て、スエーデンの植物学者でツンベルグといふなかなか眼の利いた人物が、日本に来たことがあります。それは今から三百年前の昔でありますが、当時、西洋人と云へば、東洋の一孤島日本について何ほどの知識も持つてゐません。ツンベルグも、恐らくこゝでは、異国的な風物に務して、一方学問上の研究資料を蒐め、一方、珍しい土産話でも仕入れようといふぐらゐの気持で、はるばる海を渡つて来たのであります。
 ところが、長崎から江戸までの長い旅をしてみて、彼は沿道の景色に見とれる代りに、そこに住む人々の、予期に反して、「文明人」であることに驚嘆の声を放ちました。彼が云ふ「文明人」とは、もちろん、単に未開野蕃の徒に非ずといふ意味よりはもつと強い、「立派な文化をもつた国民」といふつもりであることは、彼の道中の日記を読めばわかります。
 こんなことは、ツンベルグに教へられなくてもわれわれは承知してゐますが、その頃の西洋人で、さういふ観察を下したものは稀であります。主として、日本の民衆が礼儀正しいこと、嘘を云はぬこと、「矜り」をもつてゐること、清潔を愛し、勇気を尊ぶこと、外国人の野心を見抜いて油断をせぬこと、学問に対する尊敬と好奇心を十分に抱いてゐること、美しいものに敏感であることなどを、「文明人」たる理由として挙げてゐるのです。この見方はまことに西洋人らしいと思はれますが、私がもう少し補足をすれば、そしてもつと彼が直観的に感じたであらう日本人の立派さは、きつと、異国人たる彼自身に対するあらゆる階級の日本人の物腰態度が、総じて物柔かなうちにも凜然としたところがあり、人間としての品格がおのづから備はつてゐたからではないかと思ひます。
 一国の文化をはかる尺度として、その国民の物腰態度ぐらゐ正確で端的なものはないのです。そして、その物腰態度は、人が考へてゐる以上に、それは「家」そのものの全貌であり、両親をはじめ、子供の「躾け」に当つた人々の意志と好みとが反映するものであります。

[#7字下げ]三[#「三」は中見出し]

 日本文化の綜合性を理解する簡単な一例として、私は、「嗜み」といふことを考へたいのです。これについてはやはり後に一章を設けて説明するつもりですが、この「嗜み」といふことは、日本人錬成の理想を示したもので、常に知情意の円満な調和的発達を目指し、「嗜み」が深いと云へば、それはもう、道徳的に善であり、知的に真であり、また情操的に美であるといふ条件を完全に備へてゐることを指します。
 その面白いひとつの場合をあげれば、ある人物が物を云ふ時、わざわざ妙な声を出す。すると「嗜み」のない声と云つてこれを嗤ひます。どういふわけかといふと、その声は、いかにも場所柄にふさはしくない、馬鹿げた、頓狂な、ふざけた声である。その人物の徳性も疑はれ、聡明でないことがわかり、かつ、耳に快く響かないといふ三拍子揃つた欠点を暴露したことになるからであります。
「嗜み」は元来、訓練によつて身につけるものでありますから、物の価値判断はその勘によつて綜合的に働き、それがつまり、「文化」の健全性を誤りなく識別する基準となるのです。

[#7字下げ]四[#「四」は中見出し]

 更に日本文化の特色として、包容性をもつてゐるといふこと、同化力が強いといふこと、しかも、その同化は必ずしもものを一色に塗りあげることをせず、その異質的な形態をそのまゝ存続させつゝ、並行的に処を得させるといふ一
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