視同仁の同化力であることです。
 外国文化の摂取は、常にこの包容性と同化力によつて、日本の国土を豊かに彩ることに成功しました。
 現在はその形が最も極端になつてゐて、風俗から云つても多少手に余るといふところが見え、わが国文化の将来を危惧する声も聞えますが、これはたしかに、欧米文物の軽率な模倣によるのであつて、外見はまことに醜態を極めてゐるわりに、私の観察では、日本人の生活自体は、その影響下にありながら、それほど動揺してゐないと信じ得る根拠があります。
 第一は、西洋風の生活が少しも身についてゐないことです。これが実は伝統的な生活技術の喪失とともに、風俗混乱と悪趣味横行の大きな原因ですが、それはそれとして反省の機会がありませう。私は、むしろ、この現象のなかから、「西洋風なもの」の怪しげな部分の自然淘汰と、そのうちの「いゝもの」を消化しきつて、ほんたうに身につける努力とが生れて来ることを期待してゐるのです。
 特に、「洋服」と「洋館」とは、今後、集団生活の発展とともに、益々これを利用せざるを得まいと思はれますが、従来、この点に関するわれわれの研究は甚だ杜撰であります。従つてその利用に当つて払はるべき当然の注意、それがわれわれの生活の能率と健康と品位とに及ぼす影響についての配慮が著しく欠けてゐました。試みに、初めて洋服を着る男なり女なりが、誰にその正しい着方を習ふかといふと、それは誰も教へるものがないといふのがまづ実情であります。見やう見真似で、いゝ加減な着方をする。それをまた嗤ふものもない。身につく道理がありません。和服の着方が少し可笑しければきつとさう云つて注意するものがある筈です。誰よりも母親がまづ手を取つて教へるでせう。それは知識よりも寧ろ習慣によつてであります。さういふ勘が働くやうでなければ、生活の機能といふものは完全にその用を果しません。日本の「洋式」は、まだそこまでわれわれのものとなつてゐないのです。
 先達てもある学校で、式の最中、多数の生徒が講堂で脳貧血を起して倒れました。原因は、寒いからと云つて窓を閉めきつてあつたのです。今迄こんなことはなかつたのだがといふ校長の不審さうな顔へ、一人の教師が興味のある報告をもたらしました。それは、今迄は、講堂を使ふ時には、きまつて一人の外人教師が、自分で廻転窓を開けて廻つたものださうです。その外人教師が最近戦争の勃発と
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