活精神、殊に、明治以来の青年の指導精神を、彼等にわかりよく伝へなかつたところに罪がありますが、昔の精神が忘れられてしまつて、形だけが残つてゐるといひませうか、かういふことはわれわれも考へ直さなければならないと思ひます。
 男子は小さなことに気がつくやうではいけない、殊に衣食住のことなどにかかはつてゐては大きな仕事はできない、何よりも勉強だ、仕事だ、といふ精神が日常生活に対する配慮を軽視させる結果を生んでゐる。従つて現代の日本人は計画的な生活を営む技術を全く忘却し、自分では、さういふことに気がつかずに、たゞぎごちない生活から来る焦燥感を絶えず味つてゐる。一般の家庭生活といふやうなものも、男性の多くからは、私生活として軽く扱はれ、女性のみがあくせくと消極的な心の配り方をしてゐるに過ぎない。かういふ生活の中からは、ほんたうに充実した仕事は生れないのです。まして、豊かな国民文化といふやうなものは育つわけがありません。現代の日本人は、それでも金が出来たり、年をとつて閑になつたりすると、幾らかは自分の生活を顧みて、一種の修繕工事に取りかゝるのですが、これが多くは、例の他愛もない道楽になるのでありま
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