にはできませんけれども、飽くまでもこれを第一義的なものと考へるところには国民としての健全な生活は築かれないのであります。しかし幸福な生活は国民一人一人が目指すべき手近な目標でありませう。これについて最も注意すべきことは、われわれ一人一人が幸福を目指すことに依つて決して幸福な生活が獲られるわけのものではなく、国民のすべてが互におのれを忘れ他を幸福ならしめようとする意志のみが、われわれすべてにとつての幸福な生活の基礎であると思ひます。
生活は理想として楽しいものでなければなりません。心貧しき人にとつては卑しい楽しみが欲求の対象となります。いかなる生活を楽しいとするかに依つて、その人の真の値打がわかるのであります。
日本人にとつての楽しい生活とは、生活条件の如何に関らず、真に日本人らしい頼もしさを感じさせるやうなものであつて欲しいと思ふのであります。
以上のやうな心構へは、われわれの現在の生活を顧みる時、果してすべての人がもつてゐるかどうか甚だ疑はしいのでありますが、これだけはどうしても生活再建の根本問題として、先づわれわれがしつかり掴まなければならないので、これを外にして生活文化の問題はありません。
次に生活技術といふ点になりますと、明治末期以来非常に退歩してゐます。伝統的な生活技術を親から受けつがないで、新しい西洋の技術を身につけようとしてゐるところに空隙が出来て、生活技術の貧困といふ現象を起してをります。例へば、洋風の家に住む人は、本当にそこに住んでゐるのではない。住まされてゐるといふ感じであります。どうかするとそのために疲れる。暑すぎたり寒すぎたりして風邪をひくといふやうな現象が頻々と起つてゐるのではないかと思ひます。昔はこんなことがなかつた。衣食住の技術は勿論、すべて身についた生活の技術をもつてゐました。
永い間に鍛へ上げられたさういふ技術をいつの間にか捨て去つて、それに替るべき技術をまだ生んでゐないのが現在のわれわれの生活です。西洋風の生活様式を取入れるにしても、さういふ様式が生れた本来の意味は全く考へられてゐない。従つて、多くの場合、前に述べたやうなちぐはぐな模倣に終つてゐる。技術といふものは智識だけではどうすることもできないもので、経験の積み重ねに依つて作られる感覚的な操作を必要とするものでありますから、さうやすやすと新しい技術を身につけるといふ
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