よ、風俗的に西欧の模倣者たることを誇りとしてゐるものがないではない。
 これに反して、日本映画の方に親しむ人々は、必ずしも保守的ではないかも知れぬが、西洋文化に対する興味や関心が薄く、日本の現状をそのまゝ享け容れる素朴さがあり、従つて、想像力と批評精神に乏しく、「知つてゐることしかわからない」頭脳の持主で、日本国民の「健実な(?)」部分には違ひないが、同時に頼りない附和雷同の徒である。

 私は、西洋映画の技術的芸術的優秀さの故に日本映画を一概に排斥するものではなく、また、日本映画の水準の低さのために徒らに西洋映画万能を唱へるものでもない。寧ろ、日本映画か西洋映画か、その何れかを取らねばならぬといふ今日の事情を悲しむだけのことである。
 日本映画も、いろいろと困難と戦ひながら、ともかくも、やゝ見るべきものが作られるやうになり、その興行成績も常にわるいわけではないと聞くにつけて、時代も徐々に移りつゝあるのだといふ感じがする。
 先日本誌で、フアンク氏の日本映画論を読んだが、なかなか適切なことを云つてゐると思つたが、実は、今更われわれは、同氏から「如何にすれば優秀な映画が作れるか」といふ教
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