し、それを見せ場とするのが特色です。それを大体九つ許り挙げる事が出来ます。この歌舞伎独特の見せ場と云ふものは今日迄三百年の長い間、其の表現、俳優の演伎の上からいつても、其の俳優の扮装の上からいつても非常に工夫され洗練されたもので、さう云ふ部分だけ見ると云ふのが歌舞伎通の見方であります。其外の場面は弁当を食べたり、酒を飲んだりして見る。其の見なければならない部分とは九つの部分が其の代表的なものであります。先づ濡場と云ふものであります、濡場と云ふのは詰り恋愛の場面であります。男女の情を写したものでありまして、エロチツクなものを含みます。第二は殺場と責場との二つでありまして、之は読んで字の如く殺場は人殺しの場面、責場と云ふのは人を責めてぎゆう/\言はせる場面です。殺場と云ふのは以前には可なり極端な人殺しの場面を細かく演じて惨酷な印象を与へたのであります。俳優が血の出し方を非常に工夫をして斬られた所から血が出る、其の出方を成るべくほんとうらしく見せるなどといふ手品のやうなことをやりました。併し今日では一般民衆に悪影響があるといふ見地から殆ど形式的なものになつてゐます。地方に依つては全く血を見せる事を禁止して居る地方もあります。之はもう現在に於ては当然廃めなければならん事だと思ひます。之は最初日本の劇を外国の方が見て非常に驚くことであります。併し之は日本許りでなく、例の仏蘭西ではシエークスピヤの芝居が始めて上演された時に、仏蘭西人は吃驚りしたのであります。仏蘭西では人が殺されたり喧嘩をしたりする場合は、舞台の上に出さないのが古典劇の作法であります。シエークスピヤがさう云ふ事を無視して盛に殺伐なことを舞台の上に取入れましたから、当時の仏蘭西人は舞台の上でさう云ふものが演じられると、見物席で女の見物などが気絶したと云ふ話が残つて居ります。若し日本の芝居を見たら当時の仏蘭西人は一人も生き残つてゐなかつたでせう。それから責場ですが之は一種の拷問でありますけれども、必ずしも道具を使つて責める許りではない。所謂理屈詰めで責めると云ふのもありますし、或は情に搦んで責める。詰り義理と人情の板挟にして対手をぎゆう/\責めます。さう云ふ場合の歌舞伎の台詞を真似て「さあどうぢや/\」と云ふやうな言葉を普通冗談に使ひます。之はこの責場の一つの台詞であります。それから黙んまり。此黙んまりと云ふのは黙つて演ると云ふことでありますが、必ずしも無言劇の事ではありませぬ。黙んまりと云ふことは主としておほまかな動き、活人画的、活人画といふのは一寸説明がしにくいですが、本当の人間がある瞬間、画の様な或は彫刻の様な効果を与へることであります。この黙んまりと云ふのは矢張り歌舞伎劇で非常に大事であります。殊に始めて舞台に立つ俳優の出ると云ふ場合には、黙んまりを必ず入れて一種の見物への挨拶として居ります。其時には一座の名優達が新らしく出る俳優の前に出で、暫く見物にとくと見せる様な状態に舞台を作ります。
其次は荒事、之は先刻の殺場、責場と違ひまして、之は唯非常に力が強いとか、非常に勇気があると云ふ人物を舞台の上に出して、無論殺伐ではありますけれども、非常に豪放な印象を見物に与へます。例へば男が家の縁の下に這入つて家をいきなりうんと持揚げて仕舞う場面とか、或は大きな船をいきなり片手で振り廻すとか、さう云ふ人間業では到底出来ない様な力を其処に見せて、見物に溜飲を下げさせると云ふ様なことであります。或る俳優が或る芝居の中で家を持上げる場面を今迄両手で持上げてゐた。然るに一人の俳優は片手で持上げました。色々な仕掛けがありますから何方らで上げても同じであります。何でもないのですが、さうすると其時に舞台監督たるマネーヂヤーは、幾ら力が強くても片手ではまるで嘘見たいだから両手で上げたら宜からうと云つたら、其時に俳優は何方らにしても、家を持ちあげるのは嘘にきまつてゐる。力を強調するためには、片手の方が効果的だと云つて、それ以来其の芝居は片手で家を持上げる様になつたと云ふことであります。其次に早変り。之は一人の俳優が二人の役をするのであります。之は西洋にもあります。早変り専門の俳優と云ふものがあります。座頭と云ふ盲人の音楽家が或る場面に出て来ます。木琴を鳴し歌を唄つて出て来ます。其の盲の音楽家は由緒正しい武士の変装したものである。それが早変りの場合に目の前にあつた池の中に飛び込む。其の瞬間後の方から立派な武士が出て来まして、実に目にも止まらない早業で池の中に飛び込むと、直ぐ後から立派な武士が出て来ます。それが早変りであります。俳優がそれを非常に巧くあつと言ふ間に変りますと当時幕府からお小言が出て、何かバテレンの法を使つてゐはしないかと云ふことで警邏の者が調べに来たといふことであります。其次に人形振といふのがあります。之は一つの芝居が一つの技巧に徹した証拠であります。歌舞伎劇で本物の俳優が舞台に出るのですがそれにも拘らず其の本物の人間が色々な事を演り尽した上、どうも面白くないと云ふので俳優が人形の真似をする。俳優が人形浄瑠璃の振りをするのであります。俳優は成る所に行きますと、いきなり音楽に合せて人形の表情で人形の手つき足つきで踊を踊るのです。其時は後に人形使ひになる黒い著物を著た男が居ります。さうして其の俳優を人形の様に見せる。それが人形振りであります。其次が立廻。此立廻りといふのは昔は矢張り非常に勇気があり同時に、技術の優れた人間が大勢の人間を対手にして其の大勢の人間を皆斬り倒すと云ふ場面でありますが、其の為には実は普通の人間には持てない様な刀を一ふり振つて其処に居る雑兵共が皆倒れる。之が立廻りぶりであります。元は単純なものでありましたが、それぢや見物が満足しなくて後に軽業式になりました。之は斬られる人は大勢居りまして一人々々を違つた形で斬り倒す。斬られる方も亦た夫々違つた形で倒れます。斬られて唯だばたりと倒れたんぢや興味がないので顛覆つて倒れる。或は上にくるつと顛覆へして殺すと云ふ風に。斬る方も斬られる方も技術を尽すと云ふのであります。即ちそれがアクロバシイでもあり、同時に舞踊でもあるのであります。之は結局殺されるとか殺すと云ふ場面を軽業化し、同時に踊にするとユーモアが出て来るのであります。もう一つ八番目には六法。非常に大きな太刀を両刀差して、両手を大きく振つて脚で大股に踏張りながら歩いて行く。之は矢張り芝居の或る方面で六法と云ふのをやりますが、見物の視線を一人に集めると云ふことが主になつて居ります。其の歩き方は江戸時代の或る種の人物の最も得意げな歩き方を代表して居るのであります。それはどんな階級かと云ふと、例の侠客が自分の好な女の所に歩いて行く其の歩きつ振を真似したものであります。今日では歌舞伎ではそれは主役の俳優が舞台から花道をずつと引込んで行く時に使はれて居ります。最後につらね。つらねと云ふのは渡台詞或は厄払と云ふ様な物に共通するものがありますが、之は今の六法を踏みながら云ふ台詞でありまして、それはどう云ふ事を云ふかと云ふと主に名乗りに使ふ。自分はどう云ふ素性でどう云ふ人間だと云ふことを、舞台の者に言ふと同時に見物に聴かせるのです。其の名乗りに使ふのです。それから或る場所を説明します。此場所は斯う云ふ名称であると云ふ説明をします。其の説明が非常に流暢な美文でありまして、之は此歌舞劇の中に於ける一つの雄弁の要素を代表したものであります。日本の演劇に於ける雄弁は西洋の希臘劇以後近代劇に於ける雄弁と似て居て非常に面白いものだと思ひます。今日之をお話することは止めて置きます。更に複雑化して舞台で一人の俳優が文句を云ふと其の次の者が云つて、其次々々と段々に台詞を渡して行くのが渡台詞であります。これで歌舞伎の中で特に見せ場と云ふもの、代表的なものを挙げました。猶ほ少し時間が経つた様でありますけれどもちよつとお話しすれば、歌舞伎の中で廻舞台、花道、迫出《セリダ》し、之は劇場の建築と共に日本固有の演劇形式であります。迫出《セリダ》しと云ふのは舞台の下から上の方にずつと人間を押出す仕組みで、今日の舞台でさう云ふ道具を使ふことは珍らしくありませんが、非常に古い時代に下から舞台を人間と一緒にぐつと持上げると云ふことをやつたのは歌舞伎だけだと思ひます。花道も舞台と見物席と非常に親密にさせる日本演劇の民衆的性格の一つの現れでありまして、斯う云ふ風な歌舞伎の形式は欧羅巴の新らしい芝居の中にも模倣或は影響が見られるのであります。もう一つ最後に扮装の事でありますが、扮装に於て歌舞伎の衣裳、鬘と云ふものも注目すべきであります。殊に化粧でありますが、其の化粧に就て矢張り独特な見方があるのです。之も精しくいふと非常に長くなりますが、其の中でも例の隈取《クマド》り。此|隈取《クマド》りと云ふのは人物の容貌と表情とを誇張した扮装術で、其の人間が良い人間か、悪い人間か、強い人間か、優しい人間かと云ふことがひと目でわかるのでありまして、其の特徴を現すと云ふ方法が非常に発達して居ります。最も此|隈取《クマド》りは支那劇に在るのであります。恐らく其の源は支那劇であらうと思ひます。大体之で能と歌舞伎の事は申しましたから、之位にして置きます。
最後に新興演劇に就てお話します。明治以来の新らしい演劇は之も歴史的にどう云ふ風になつて来たかと云ふ事を申上げますと、それは大変面倒でありますし、直接興味が薄いと思ひますから、現在行はれて居る芝居の中で明治以後に於て生れた芝居に就て一通り目を通して見たいと思ひます。先づ第一は歌舞伎劇を幾分新らしく書き直し、或は歌舞伎劇のテクニックで一つの新らしい歴史劇を試みたと云ふものがあります。之は主として歌舞伎俳優に依つて演ぜられ、さうして外の歌舞伎と並んで同時に同じ劇場でやつて居るものであります。然し兎も角も一方に歌舞伎劇と云ふ純粋な其の古典劇を持つて居る。吾々は其の歌舞伎劇自身の魅力には十分陶酔し得るのでありますけれども、併し吾々が舞台に求める歌舞伎が総てのことを与へて呉れないと云ふことに気が付きました。之は歌舞伎劇でも能狂言でも同じでありますが、今日の実際の生活様式は歌舞伎の形式では表現できません、余程違つた芝居の形式が欲しいと云ふ要求が起つた。此要求に対へるものとして第一に起つたのが所謂新派劇。併し此新派劇は今日歌舞伎劇と殆んど並んで東京の大きい劇場の中で実際やつて居りますけれども、併し新派劇と云ふもの、発生の動機を考へて見ますと、矢張り新らしい一つの芝居の革新運動として、芝居を新らしくする運動の為には人的、人の要素が欠けて居つて芸術的な目標と云ふものを十分に立て得なかつた。思想的にも新らしい思想を取り入れなかつた。只だ歌舞伎劇でやられて居る様な手法、技巧に依つて明治以来の新らしくなつた生活を表面的に舞台の上で見せると云ふだけのものでありますからして、今日では此新派劇と云ふものが日本の新らしい芝居を代表するものにはなつてゐませぬ。何方らかと云ふと新派劇は歌舞伎と一緒になつて居る。此新派劇の発生当時の歴史をお話すると興味があると思ひますが、それは新らしい運動が起る時にはどう云ふ文化の部門でも繰返へされることでありますから特に新派劇に就てはお話ししませぬ。此歌舞伎劇と新派劇に対してもつと切実な吾々の本当の生活要求に答える演劇、新らしい時代の演劇と云ふものを作り出さうと云つて起つたものが新劇と云ふものであります。此新劇の運動は元来、欧米の小劇場と云ふものに倣つてそれに刺戟されて起つた。詰り商業主義と云ふものを排斥しそれから卑俗な低劣なものに挑戦する。歌舞伎劇や新派劇の中に既に取入れられて居る卑俗なものに挑戦する。もう一つは文学上の新らしい思想を芝居の中に採入れようとする。歌舞伎劇にしても主として俳優本位の芝居であるが之を戯曲本位の芝居にしよう、それから見物も一般の広い色々な教養の違つた民衆に呼掛けるのでなくて、特別な選ばれた教養を持つた素質の優れた見物に呼掛けようと云ふ目的を似て起つたのが新劇運動
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