日本演劇の特質
岸田國士
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九月三日(土曜日)午前九時三十分開講
今から「日本演劇の特質」といふ題でお話をしようと思ひます。皆さんは特別に日本の演劇を研究しようといふ目的を持つておいでになるお方ではないと思ひます。ですから余り専門的なお話をしても面白くないので、成るべく皆さんが日本に滞在しておいでになる間、日本の芝居に接触なさる上で御便宜になる様なお話をしたいと思ひます。日本の演劇はどういふ点に特色があるかといふことを知る為には、どうしても之は日本と云ふものを先づ知つて戴かなければならない。それからもう一つは演劇と云ふものはどういふものかといふ根本の知識を持つて戴かなければなりませぬ。併し日本といふものは御覧の通り非常に複雑な面貌をもつてゐます。斯う云ふ所も日本かと想ふと又全くそれと一見反対の様な或は矛盾した様な部分が日本にあるのであります。さういふ様な意味で日本の全貌を捉へるといふことは、皆さんにとつてなか/\やさしい事でないと思ひますが、殊に劇とはどういふものかといふことは、之は普通常識で芝居を観て、芝居とはこんなものかといふ事が解つてゐるといふのでは不充分なので、芝居と云ふものはどういふ様な要素で出来てゐるか、或は又芝居の歴史はどうであるかといふ、さういふ色々な方面から芝居を研究した上でなければ芝居とは何か、演劇とは何かと云ふ事が先づはつきり掴めないと思ふのであります。しかし、さういふ基本的なことを私は此処で申上げて居る暇はありませんから、先づ皆さんが今日迄、もう日本でなり或は皆さんのお国でなり御覧になつた芝居と云ふものゝ知識を信用してお話を進めて行きたいと思ひます。
で、是から東京でどういふ機会かに劇場に足をお向けになることがあると思ふのでありますが、其時にこの芝居は現在日本でどういふ地位を占めてゐるか、ほかの芝居とどういふ所が違ふかといふ極く一通りの概念を持つてお出でになると、幾らか便宜でもあり、又吾々としましては、日本の芝居と云ふものを皆さんの頭に誤つた印象として残さないために、特にさういふ点をこの機会に出来るだけ細かくお話したいといふことは、詰り今日吾々日本人が芝居と云ふものを通じてどういふものを作り出し、どう云ふものを育てゝ行かうとしてゐるかといふ精神を酌取つて戴きたいからであります。現在日本の演劇と云へば其の種類は非常に豊富であり雑多である、其の種類が非常に多いといふことは、恐らく世界のどの国に較べても敗けない位だと思ひます。種類が多いといふ事許りが決して自慢にはならないのでありますけれども、其の種類の多いと云ふことが日本の現在の芝居の特質と数へても宜いと思ひます。どういふ訳でそんなに日本の芝居の種類が現在多くあつて、さうしてそれらの種類の芝居が昔から大体に於て今日迄続いて来て居るかと云ふことには理由がある、其の理由を説明致しますが、その前にそれなら一体どんな種類の芝居があるかといふと、其の項目を申上げれば、先づ能狂言と云ふものがある。之は後で説明致しますが、一口に能狂言と云ふジヤンル、種目があります、之は御承知の様に世界の演劇史の中にも大きなモニユメントとして認められて居る演劇であります。その次には歌舞伎と云ふものがある、之も三百年の歴史を持つて居りまして、芝居の技術といふ上からいつては、又世界のどの芝居に較べても其の完成されてゐる事に於てはひけを取らない。さうして此歌舞伎演劇の形式は、欧羅巴、亜米利加辺りの新らしい近代劇の上に逆に影響を与へつゝある。此能狂言と歌舞伎と云ふ二つの古典劇、クラシックに対して一方現代の演劇といつていゝ一つのスクール、流派があります。此新らしい演劇の歴史ももう既に六十年に垂んとしてさうして矢張り発展の途上にあります。
其外になほ日本全国の各地方に郷土的な劇があります。之は能狂言や歌舞伎の様に謂はゞ一つの芸術的な方法でそれを育てゝ来たと云ふよりも、寧ろ自然発生的な、自然に民衆の生活の中から生れて、それがその儘の形で伝へられてゐる様なものであります。それから更に能狂言や歌舞伎が発生する前それが生れる前に、支那の文化を移植すると同時に伝へられた舞楽と云ふのは大体に於てダンスと音楽に依つて組立てられた一つの演劇形式であります。其の舞楽と云ふものが今日矢張り大切に保存されて居ります。今日では之は主として宮中に残されてゐる。それから又歌舞伎劇が三百年前から
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