裏も表もないといふ生活は、甚だ見事である。日記の第一頁に――一月一日、今日は正月元旦である。昨夜降り積つた雪が、今朝もまだ真白に残つてゐる。東天に向つて初日の出を拝す。心気爽かにして、一年の計ここに成る、と書かれてゐる。次を読むと、――家族五人打揃つて雑煮を祝ふ。母上は七十歳の皺も晴れやかに、妻は三十五歳の丸髷、緑滴らんばかりである。初男は十一歳の春を迎へてますます父たる余の面影を髣髴せしめ、次子は八歳の学齢に達して、妻に劣らぬ悧溌さを示して来た。嗚呼、この幸福、ただ、欠くるは余四十一にして、未だ一銭の貯へなきのみ、とある。
趣味で日記をつけてゐるといへばそれまでだが、かういふ種類の日記は、早く死んで、早く人に読ませると功徳になる。細君には、無論、生前見せてゐることであらう。
私はまた、ひねくれた精神をも愛する。裏表があるわけではないのに、裏表があるやうに見える人物の心の動きは、甚だ微妙である。ジュウル・ルナアルとは、少年「にんじん」の本名であるから、御存じの方もあると思ふが、彼の生れながらともいふべき孤独さは、長ずるに及んで、幾多の激しい作品を生んだが、その日記は、就中平然とは読むに堪へないものである。
二十六歳の正月二日、かう書いてゐる。
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――髪を短くしてゐても、詩人にはなれる。
詩人であり、しかも家賃の払へるものがゐる。
いかに詩人と雖も、妻と寝ることは差支へない。
詩人も、時として、フランス語で書くことがある。
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二十九歳の三月、ポオル・クロオデルについて、
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――だが、どういふわけで、クロオデルは、一方で「金の頭」とか、「都市」とかいふ風なものを書き、一方で、ニユウヨオク副領事の地位にありつくための報告書みたいなものを書くのだらう? 芸術家は、祈る時も飯を食ふ時も、同じでなければならぬ。
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三十一歳の三月
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――皮膚に皺のない一人の日本人が私にいつた。「初めはヨオロツパ人はどれもこれも同じやうに見えました。一人々々を区別するのに、かなり暇がかかりました」
そこで、私は「しかし、われわれはブロンドか、さもなければ褐色か、或は赤毛です。君たちは、みんな黄色い顔で、黒い髪をしてゐるぢやありませんか」
すると彼は、「あなた方にさう見えるだけ
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