ん。
それならば、公衆は演劇鑑賞の標準を何によつて定めるかと云へば、たゞ個人的趣味によつてと云ふより仕方がありません。勿論、専門の劇評家は毎興行の初日に、筆を揃へて各新聞の劇評欄を賑はせます。之を見て、どの劇場に行かうとか、今度は面白さうだとかいふ、つまり観劇の動機を与へ、その方向を決定することもあるでせう。然し、やつぱりその人その人の教養、趣味によつて、劇場を選び結果を評価する以外に、そしてそれが屡々輿論を作る以外に、他動的な、又は団体的観劇組織といふやうなものは全く無いと云へます。
それなら、仏蘭西の公衆は、何れも劇芸術の何ものたるかを解し、優れた作品を翫味する能力があるかと聞かれゝば、即座に然りと答へることが出来ないにしても、「否」と答へることは、少くとも、その比例に於いて躊躇しないわけに行きません。たゞ「芝居に行くのは、楽しみに行くのだ」「感心はしても、くつろいだ気持になれないものは、われわれは御免だ」さういふ人は沢山ある。幸なことに、仏蘭西には色々な意味でゞはありますが「面白くない芝居」といふものがない。低級な――芸術的には――芝居を見に行つても腹の立つやうなことは滅多に
前へ
次へ
全9ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング