その芝居を観てなくても、面白く読めるやうにすることが第二である。更に、その芝居を観に行きたく、或は観に行きたくなく(?)するやうに書くことが第三である。最後に、その芝居を観た時、その舞台から「何を感ずべきか」を教へ示すことが第四だ。
ところが、現在の劇評といふものは、さういふ仕組になつてゐない。軍隊の検閲や演習には「講評」といふものがあるが、それは、検閲を受け、演習に参加した部隊の幹部、時にはこの部隊全体に、検閲官又は上官が、一場の意見、注意を述べるのであつて、専門的に明瞭適切であるかもしれぬが、要するに「二人称」的であつて、第三者には、なんのことやらわからんのである。現在の劇評もややこれに類する嫌ひがなくはない。のみならず、いろいろの事情によつて、第一の条件は十分に満たされず、第二の条件は、努めても、張合がないに相違なく、第三は、観せたいやうな芝居が滅多になく、その上、観せたくないと云つて、観に行かないものは、はじめから観に行かないものばかりだから、何を云つてもしかたがない。そして第四に至つては、劇評家の手を俟たなければ、感ずべきものが感じられないほど「芸術的な」脚本は、どこでもや
前へ
次へ
全6ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング