るやうな「味」までも充分に味はつて行く必要がある。それでないと、遂に、戯曲の本質に触れない、云はゞ形骸のみの模倣に陥り易い。外国の優れた戯曲が、その「劇的文体」に於て、その「言葉の妙味」に於て、如何に本質的価値を発揮してゐるか、その点にもつと理解があつて欲しい。「日本人には味はへない味」だなどと頭から棄てゝかゝるのはよくない。と、まあざつとこんなことを云つたつもりである。
正宗白鳥氏は、すると、先日、日々紙上で、大に皮肉のつもりでか、外国文学の標準で日本文学を律する必要はないと云ひ、僕に仏蘭西劇はわかつても現代日本の劇作家はわからないのではないかと云ひ、剰へ、僕を仏蘭西学者と揶揄し、遠廻はしに、模倣癖の強い人間殊に西洋へでも行つたやうな男は、兎角西洋人の真似をして自分が人よりも進んだつもりでゐると、甚だ穏やかならぬ罵倒のし方をされた。
そこで、正宗白鳥氏に申上げる。
第一、現在、外国文学の標準と日本文学の標準とどう違ふのですか。僕は僕の標準で物を云ひ、作品を批判してゐるのです。あなたと僕と文学上の立場が違つても、それは僕が外国文学の標準を標準としてゐる証拠にはならないでせう。よし
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