て詩人三好達治君がこの地に居を構へ、時をり自然の美しさ、穏やかさを私に漏らしたことがあつたからで、それを覚えてゐて、私が突然、小田原で家を探してくれる人はないかと、相談をもちかけたのである。三好君は困つたに違ひないが、早速、土地ッ子の歌人鈴木貫介君を私に紹介してくれた。
この鈴木君は大きな蜜柑山の主で、なかなかしつかりした歌は詠むが、借家のことには一向不案内であることがわかり、私は二重に悪いことをしたと思つた。
しかし、もう今では、そんな詫びを繰り返す必要もないほど親しい間柄になり、この間は、同君を生れてはじめての芝居見物に誘つた。
芝居といへば、この小田原には、北条秀司氏も数年間居たことがあるさうで、同氏の指導と庇護を受けたアマチュア劇団の人たちから懐旧談を聞かされることがある。言ひ漏らしてはならぬが、私の現在の住居は庭を隔てて西側に缶詰工場があり、その騒音と臭気が困りものだといへば困りものだが、会社側は工場長はじめ、たいへん礼儀正しく物わかりがよく、結局、こちらが我慢をするか、ほかへ移るかしなければ解決がつくまいと思はれる形勢である。かうなると、人権擁護といふこともなかなかむ
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