いて云へば「温室の前」に於ける牧子は、たしかに彼女一代の傑作たるを失はぬ。この脚本は、僕がはじめて役々を俳優にあて嵌めて書いたのであるが、他の役は何れも多少の食ひ違ひがあつて、半分は最初の予定を変へなければならなくなり、俳優の方でもぴつたりしないところがあつたやうであるが、牧子の役だけでは、伊沢蘭奢の比較的世に知られない天才的特質の一面を充分活かし得たと信じてゐる。事実此の舞台で、彼女は、初めて名女優の貫禄を示した。
伊沢蘭奢は、一部のファンが想像する如く、モダン・マダム型の代表でもなく、まして、下町風の世話女房型女優でもなく、一面に明治家庭小説式色つぽさによつて大衆に迎へられながら、実は、それが彼女の芸術的本領ではなく、寧ろ、平凡で、地味で、深く悩みを蔵する過渡時代の女性――これが恐らく、役柄であつたとも云へるのである。
僕は、彼女が、その一生を通じて、屡々さういふ役に遭遇したかどうかを知らない。今にして思へば、伊沢蘭奢は、これからの舞台、これからの新劇を背景として、重要な役割を演ずべき一個の有力な女優であつたのである。
喪服の人形が、偶然ながら、彼女の過去の面影を語るものとす
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