……。
田所  船乗りなんて、みんな子供みたいなもんですよ。
悦子  それでゐて、何時かは、麦酒をあんなに滅茶にお飲みになつて……。
田所  あれは初郎君がわるいんだ。先生は人をおだてる名人でしてね、煽動家ですよ。うちの船長がその手に乗つて、たうとう黒ん坊の女と寝たつて話……あ、いけねえ……。
一寿  何とね?
悦子  いやねえ、黒ん坊の女とですつて……。
一寿  ああ、君がかね。
田所  いや、僕の話ぢやないんです。ああ、もうよさう。どうもたまに陸へ上ると、頭の調子が狂つて来やがる。
一寿  ああ、君、なんか特別な話があるんだつたね。こいつがゐちや具合がわるいか。
悦子  あたしはもう引込むわよ。明日の準備もありますし……では、ごゆつくり……。

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悦子が奥へはいると、両人はしばらく、黙つて煙草を吸つてゐる。
[#ここで字下げ終わり]

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田所  どうも、少し、切り出しにくいんで……。
一寿  さあ、遠慮なく云ひ給へ。但し、僕の力に及ぶことかどうか……。
田所  それが問題なんですが、ぢや、はつきり云ひます。実は、愛子さんのことで御相談があるんです。
一寿  …………。
田所  僕も、やつと一等運転士《チーフ・メート》の免状も取りましたし、そろそろ……。
一寿  ああ、わかつた。愛子をくれと云はれるのか。そいつは、僕に相談してもなんにもならんよ。僕から取次いでもいいやうなもんだが、あれも自分のことは自分でやると云つとる。なるほど、それだけの頭もできとるやうに思ふから、僕も一切信用して、放任主義を取つとるんだ。そりや、君、世間の親達は、娘の将来にあれこれと喙を容れたがるが、それだけ娘を幸福にできるもんか? 僕はその点、親の権能といふもんを、正しく認識しとるつもりなんだ。娘の方から相談してくれれば、こりやまた別で、当りさはりのない注意ぐらゐしてやれんこともないが、僕んとこの娘たちは、ことにあの愛子といふ奴は、なかなか自信家でね。僕からでも、そんな話を持ち出さうものなら、てんで相手にはせんよ。まあまあ、そこはよろしくやり給へ。
田所  さうおつしやられると、実は、どうしていいかわからなくなるんです。まつたく取りつく島がないわけなんで……。といふのは、順序として、お話しなければわかりませんが、以前、初郎君に一度愛子さんの心持を訊いてもらつたことがあるんです……。
一寿  ほう、すると……?
田所  むろん、手紙でなんですが、そのお返事つていふのが、まつたく予想外で、僕はそのために、却つて、愛子さんの真意がわからなくなりました。つまり、その文句によりますと、――田所といふ男は、名前も顔も覚えてゐない。従つて、なんらの関心も持つてゐない。何れにせよ、自分はもともと結婚はしないつもりなんだから、その話はこれきり打切つてもらひたい……。
一寿  結婚せんつもりだつていふのかね。へえ、そりや僕も初耳だ。そんなら、君、ほつとき給へな。
田所  いや、結婚するしないは別として、僕の名前も顔も忘れてゐられる道理はないと思ふんです。まる二日、ああして、一緒に顔をつき合はしてゐたんですからね。お宅で一日御厄介になつた挙句、翌日は、みんなで奥多摩へピクニツクをしました。途中、冗談も云ひ合つたり、すつかり仲好しになつたつもりなんです。
一寿  岡田君とごつちやになつてるんぢやないかね?
田所  まあ、しかし、そのことは、一度お目にかかりさへすれば、解決がつくと思ふんですが、今日の様子では、それもむづかしいやうだし、近いうちにまた出直して来ませう。ただ、僕が来たことについて、何か誤解をされてゐては困るんです。会ひたくないと云はれるんなら、たつてとは云ひませんが、さうなると、僕の方でもその理由を伺つておきたい気がします。
一寿  待つてくれ給へ。どうもよく腑に落ちんが、君の言葉の調子でみると、愛子は君の意志を知つてゐて、わざと顔を見せたがらんのだといふやうに聞えるが、それなら、君も返事を聞く必要はないんぢやないのかね?
田所  返事よりも、理由です、僕が聞きたいのは……。
一寿  なんの理由……。
田所  返事のできない理由です。
一寿  返事ができるかできんか、まだ訊ねてもみないぢやないか。
田所  わからないかなあ。さつき云つたでせう。初郎君への返事は、まるで返事になつてゐません。
一寿  或は、それが返事の代りかも知れんな。
田所  さうおつしやるのは、あなたがまだ、肝腎な点を御存じないからです。僕たちの間柄を、普通なもんだと思つてらつしやるからです。
一寿  穏かならんことを云ふぢやないか。男女の間柄を、普通でないといふと、どういふことになるね。
田所  愛子さんを此処へ呼んでごらんなさ
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