ん、愛ちやん、すばらしいピアノを買ふんですつて……。独逸製よ……。
一寿 そんな金が何処にあつた?
愛子 安い出物があつたの。もち[#「もち」に傍点]、セカンド・ハンドよ。たつた四百円ですもの。
一寿 だから、そんな金を何処から引出したんだ。
愛子 あら、引出すつていへば銀行ぢやないの?
悦子 お父さん、御存じない? 愛ちやんは財産家よ。(妹に眼くばせをして)云つてもいいこと?
愛子 人の貯金のことなんか、どうだつていいわよ。さうさう、ねえ、パパ、このお人形、あたしに頂戴ね。せんから欲しかつたの。(飾棚の和蘭人形を取上げる)
悦子 あら、ずるいわ。
一寿 そいつはなあ……まあいいか。人にやるんぢやないよ。
愛子 (奥に向ひ)ちよつと、おらくさん……小母さん……あたしの部屋の電球とり替へといてくれた?
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奥で、「あ、さう、さう」といふらくの声。
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悦子 球なんか自分で替へなさいよ。
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そのうちに、らくが、電球を持つて現はれる。
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らく これでよろしいでせうか。
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愛子は引つたくるやうにそれを受け取つて、すかしてみる。
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愛子 駄目よ、これ、二十四ワツトぢやないの? 四十でなきや、暗くつて、字も読めないわ。
一寿 (娘のやや粗雑な言葉の調子を聞きとがめ、しばらく、ぢつと眼をつぶつてゐるが、やがて)おい愛子、それから悦子、お前たちに云つておくがね……。(長い間)この女《ひと》は、もう雇人ぢやないんだよ。
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この突然の宣言に、女たち三人は、それぞれの驚き方で、すくむやうに後退りをしながら、互に妙な会釈を交す。
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一寿 お前たちに「お母さん」と呼ばせるかどうか、そこまではなんとも云へない。お前たちの意見もあることだらう。ただ、かういふことは、内証にしておくべきでないと、今ふと考へついたんだ。お前たち二人は、なんにも心配しないで、伸び伸びと、自分の生活を築いて行きなさい。この女《ひと》も、半生は不仕合せだつた。わしも弱かつた。これも縁だらう。黙つて見逃しておくれ……。
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らくと悦子とは、云ひ合はしたやうに顔を伏せる。愛子は、ひとり、昂然と、父の方を見据ゑてゐる。
父親退場。
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悦子 ぢや、ちよつと、あたしたち出て来ますわ。
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娘達退場
らく、室を出ようとする。
娘桃枝、そつと現はれ母親の顔を見る。
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二
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舞台は前に同じ。
数日後の日曜日――午前十時頃。
一寿と田所理吉(二十九歳)。主客は卓子を挟んで向ひ合つてゐる。田所は、二等運転士の服装、健康な赭顔に絶えず微笑を泛べてゐる。
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田所 あれが香港かハワイあたりだつたら、病院も相当なのがありますし、ことによつたら、あんなことにならずにすんだかも知れません。しかし、丁度、発病の時機もわるかつたんです。
一寿 いろいろ、みなさんにお世話をかけたことだらう。日頃の不養生が祟つたんだね。酒はあまりやらんやうだつたが、あの通り、どか食ひ[#「どか食ひ」に傍点]をしよるんでね。
田所 いや、初郎君なんか、まだ神妙な方ですよ。去年の夏、一緒に伺つた岡田なんて奴は……。
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そこへ悦子が現はれる。
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悦子 愛子はなんだか気分がわるいんで、失礼するつて申してますわ。少し風邪気味らしいんですの。
田所 (ぢつと悦子の顔を見つめ)ちよつと顔だけ見せるつてわけに行きませんか。
一寿 今朝、食事の時は起きて来よつたぢやないか。
悦子 起きてはゐるんですよ。でも変な顔してお目にかかるのいやなんでせう。さうさう、岡田さんはどうしていらしつて?
田所 相変らずですよ。今もお話したんですが、奴さん、この夏お嫁さんを貰ひましてね……。
悦子 あら……。
田所 それで可笑しいんです。上陸するたびに、まあ家へ帰るのはいいとして、船へ戻つて来ると、きまつて腹をこはしてるんです。なんでも、いきなり汁粉をこさへさせて、そいつを朝昼晩と食ふらしいんですな。
悦子 まさか
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