は何かといへば、西洋の文明――日本はかうだ、西洋はかうではないといふ、さういふ考へ方です。しかも、さういふ考へ方を吹き込まれるのは、決して西洋崇拝、或は西洋讃美の書物からではない。もつと根本的に、日本の現代の文化――伝統文化ではない現代の日本文化、これと西洋の現代文化といふものゝ客観的な比較から、それは生れて来るのです。
 ですから、この時に私は更にもう一つ救ふ途があると思ひます。それは、政治の中に真善美といふこの三つの要素を目標とする一つの理想があるかないか、それが政治の現実の面で十分明瞭にさういふ青年たちの心に刻み込まれるやうにすることです。さういふ青年達の頭の中には、恰度この頃から初めてはつきりと文化といふ意識が刻まれる。つまり文化的であるとか、或は非文化的であるとかいふ批判力と、さういふものに対するはつきりした欲求が生れて来る。即ち現代の日本は文化的にどうなんであらうか、文化面でどうなんであらうかと考へる。それから今度は非常に真剣な懐疑乃至絶望感をもつ。これは無論非常に鋭敏な、そしてものをよく考へ込む、同時に性格的にも或る反抗的なものを蔵してゐる青年たちに特に著しい。その時に彼等は日本の現在及び将来といふことを考へて、日本の文化といふものが本当に向上するには、かういふ政治ではいけないのではないかといふ風に見る。これは或る時には日本を憂ふる精神でもあると思ふ。勿論もつと軽薄なものもありますが、しかし時には日本を憂ふる精神から出てゐる場合がある。しかもこれが日本の現在の政治といふものを否定視するところから、踏み外すのだと思ひます。ですから、私はそこのところを、日本の歴史及び日本の政治の大きな流れを形作る一つの方向として、十分希望を与へてやる方法があると思ふ。つまり日本民族といふものゝ方向に就て、彼等に十分自信を与へることは可能であると思ひます。ところが今までの教育も政治も実はさういふ手段をとつてゐなかつた。この時に偶々西洋の政治、思想に関する書物に興味をもちだして、或は左翼的な書物を読み、或は左翼運動の中に身を投じてゐる先輩の話を聴いたり、さういふ方向に既に踏み込んでゐる友人の影響を受けたりして、全く救ふべからざる状態になる。勿論これは全体とは申しませぬが、大多数の者がかういふ経路を辿るのではないかと思ひます。そこでこの思想対策、殊に学生及び青年に対する思想善導
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