ずる、その根柢をなす国民の力であるといふ点を、十分お考へを願ひたいのであります。実際に於て、今度の翼賛会に文化部が出来たことに就てはいろいろ意味がありますが、とりわけ今日知識層の一部の中で、比較的今まで拗ねてゐた者、或は懐疑的であつた者が、これに依つて何か非常に新しい希望をもつて、今までの自分の態度を一擲して新しい翼賛運動に参加したい、さういふ熱意を示してゐる者の多くなつたことは事実です。これは愈々日本の政治にも文化といふ部面がはひつて来たといふ、さういふ希望の現れだと思ひます。その態度そのものはまだ余り賞められませぬが、兎に角、さういふ微妙な点もあると思ふのであります。

 元来日本民族は科学性といふ点に於て、弱点があるやうに云はれてをりますが、日本民族そのものは科学性をもたない民族ではないと思ひます。徳川時代の政策は科学圧迫といふ点に非常に力が入れられたものですが、これが明治時代になつて、科学に対する泰然たる欲求となつて現れて、つまり科学といふものを不消化のまゝ呑み込んで行つたわけです。科学がまづさうですが、何事に依らず、日本にはないが外国にはある、かう思はせることがいけない。要するに自信をもたせなければいけないと思ふ。さういふ意味で明治初年の政治家はやはり文化性をもつてをつたやうです。例へば国民に対する告示にしても、文章は立派であるし、またそのなかには確乎たる見識があつた。決して人に書かせたものを読むといふやうなことはしなかつたのぢやないかと思ふ。政治家の情熱が国民に直ぐ伝つて行く。これがつまり芸術性で、さういふ点をよほど考へなければならぬのではないかと思ふのです。それから、例へば音楽と美術に就ては官立の学校がありますけれども、いろいろ民間に起つてをります文化運動に対して、政府はもう少し関心をもたなければならぬのぢやないかと思ひます。勿論その中にはいゝものも悪いものもありますが、いゝものほど苦労してゐる実情ですから、そのいゝものを助成し、これを育てるといふ意図を政府が示して、補助とまでは行かないまでも、さういふものゝ存在を認めて、それに眼をつけてゐるといふことをはつきり感じさせる、かういふ政府の政治的態度が国民に非常な希望を与へることになる。この点に就ては、私は今まで実際にさういふ運動([#ここから割り注]新劇運動を指す[#ここで割り注終わり])に関係してをり
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