、戯曲の戯曲たる「生命」を決定する問題なのである。戯曲を書く以上は、もうこんなことは問題にならない。それはさうあつて欲しい。然し、戯曲が書けるか書けないかの問題なのである。堂々一篇の戯曲と銘打つて公表された作品に対して、この問題に触れた批評をすることは、作家に対して聊か非礼であるとさへ云はなければならない。それだけ、問題にならない問題なのである。つまり、あまり本質的な、根本的な問題なのである。日本現代劇は、悲しいかな、この問題にならない問題、西洋ではもう誰も問題にしない問題を、更めて問題にしなければならない状態なのである。
 いろいろやかましい説明をすれば説明できないこともないが、この「演劇の本質」といふ問題は、われわれをどこまでも引張つて行く。度々引合ひに出して恐縮であるが、日本現代劇作家の大部、その中には人生の奥義を究めた思想家もあり、稀代の文学的才能を具へた人もあり、豊富な詩心を恵まれた人もあり、古今東西の学に秀でた識者もあり、革命家的気魄に満ちた志士もありはするが、ただ、それらの人の書く戯曲は、戯曲の本質といふ一点で、ただその一点で、西洋の凡庸な劇作家の作品にさへ及ばないのであ
前へ 次へ
全12ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング