題にする必要はあるまい。
 で、前に述べた如く、日本には作劇第一免許状を持つてゐない自称劇作家が多い。多すぎる。これは無免許運転手と同様、危険千万である。つまり、読者や見物の方が、油断なくよけて歩かないと、とんだ憂き目に遇ふからである。
 このことは、所謂新劇俳優にも通用する。此の方は免許状が実際に要るさうであるが、それは警察の方で知つたことで、こつちの知つたことではない。俳優の第一免許状と云へば、「台詞が言へるか言へないか」といふ免許状である。「対話させる術」に対して、これを「対話する術」と名づけよう。対話のできない人間といふものは嘗て聞かないが、その術を心得てゐる人間は、これまた日本には少ないのである。少ないのはいいが、それを心得ずして俳優を志すことは無謀も甚だしい。
「対話する術」とは何かと云へば、「言ふこと」のただ一つの「言ひ方」を捉へることである。「語られる言葉」の心理的効果に敏速な判断を加へ、一方、その効果の表示に適切な機会を与へることである。少々固苦しい言ひ草であるが、これを詳論する暇はない。
 さきに、戯曲の読み方のところでも云つたことは、俳優の場合に最も必要で、一々の
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