対話させる術
岸田國士
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その国の一時代の文学が、外国文学の影響を受けたことに於て、明治以後の日本文学ぐらゐ著しい例はあるまい。
処で、その影響が、単に思想的内容や、表現の形式に止まらず、文学の本質的審美観念にまで浸潤して、殆ど模倣より脱却し、日本現代文学の一様式として存在の価値を認め得るものに短篇小説がある。
これに反して、文学の他の部門、殊に戯曲に至つては(詩の方面は暫く問題外とする)外国劇の影響から殆ど本質的な何物をも摂取することができなかつた。日本現代の戯曲は、誇張なく、文学的表現の原始時代にある。
このことは、本誌(演劇新潮)の問にも答へておいたことであるが、舞台の言葉としての戯曲の文体、劇的本質としての「生命の韻律」は、少数の先天的劇作家を除いて、多くの日本現代作家がこれを理解してゐると認めることはできない。而も今日、戯曲を書かうとするもので、意識的にも無意識的にも、泰西作家の作品にその範を取らないものが一人でもあらうか。
シェイクスピイヤは早く我が国に伝へられた。イプセンやマアテルランクもとくに読まれてゐる。ストリンドベリイ熱、チェホフ熱も盛んであつた。ハウプトマン、ブリュウ、シュニッツレル、ゴオルキイも紹介された。アイルランド劇も多くの共鳴者をもつた。最近また独逸表現派劇や、ピランデルロ等の異色ある作品も若い作家の胸を躍らせた。
これら目まぐるしい外国劇侵入時代に、わが劇作家は何をしてゐたか。なるほど、一時はイプセン張り、マアテルランク張り、チェホフ張りの作品も目についたやうである。が、流行が変るといつの間にか影をひそめて了ふ。結局、各作家は、外国作家一人一人の、どうにもならない「物の観方」を取つて以て、自分の作品を捏ね上げようとした。イプセン色のものを書いた後、チェホフ色のものを書かうとすると、初めから出直さなければならない。初め書いたものが後のものを書く時に役立たない。いつまで経つても「自分のもの」ができない。上手にならない。「ほんもの」にならない。
外国劇を勉強するのもいいが、そこから、何かかう特別な「作劇術」とか、思想的背景とかいふやうなものばかりを探し出さうとし
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