ば盆暮の贈答は無駄でもあり、形式的だからこれを廃止した方がいゝと云ふ。民衆の大部分はその通りだと賛成するだらうけれども、お互にやめようといふ話にはついこれまでならなかつたのである。なぜかといふと、日本人は第一に「進物」をもつて「情誼」の表示とする以外に、適当な「心持の伝へ方」を教へられてゐないからである。
お義理の訪問をする。紋切型の口上と、月並なお世辞でその場をごまかして引きさがる。だから当人もなんとなく物足らぬ。そこで、ちよつと手土産をといふことになる。「つまらんもの」で「志」を汲んでもらひ、お辞儀をおまけにつけておく。これで「義理」が果せるわけである。
貰ふ方も、何を貰つたかわからずに礼を云ふのが本式なのださうである。兼好のいはゆる「ものくるる友」の類ならまだいゝが、志も志によりけりで、勤め先の同僚にまで食つてもらはねばならぬほどの菓子折をさげて来られ、これでもともとだと思はれては引合はぬ話もあらう。
まつたくこれはどうかしたいものである。が、どうかするには、まづ進物に代るべき何ものかを用意してかゝらねばなるまい。それは何かと云へば、むづかしいことではない。お互に「言葉」で
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