も対手の痛いところを突きすぎる」といふやうな意味のことを云つたので、私はこの人にしてこの言ありと思つた。この言葉も文字通りにとつてはならぬ。痛いところを突く批評ならなかなか立派な批評ではないかと喰つてかゝる人もゐさうだが、横光氏のこの述懐はそんなあたり前のことを遥かに超えた、もつと切実な問題を含んでゐるのである。
 批評のなかに、作家を育てるものゝ分量よりも、作家を傷け、挫けさせるものゝ分量の方が多いといふ現象は、日本人の一般の論議のしかたのなかにもみられるのはどういふわけであらう。
 現在、時局的な論議が様々な形で公表されてゐるなかに、私は、せめて文学者の意見だけが、現実と理想との問題を、その位置と正しい関連とに於いて取上げたものであることを望むのだが、それも無理な注文であらうか。(「文芸」昭和十四年四月)
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 石川啄木の日記を発表するとかしないとかいふ事が問題になつてゐるやうである。いづれどつちかにきまるであらうが、かういふ場合、責任者は責任者で慎重な態度をとらうとするし、世間の一部は、多少物好きも手伝つて、早く見せろと息捲くのである。
 ゴンクウルの日記は、たしか死後二十五年を期して公表するやうに遺言されてあつたのを、丁度その二十五年を経過した一九二一年に、新聞「マタン」がいちはやく、あれはどうなつたのかとアカデミイ・ゴンクウルへ宛てゝ督促の記事をかゝげた。日記の原稿の保管は巴里国立図書館がこれに当つてゐたが、出版に関する権限は、このアカデミイが当然もつてゐるのである。
 ところが、アカデミイでは、会員中、その公表を尚早とするものがあり、特にアンリ・セアアルはゴンクウルのおぼえあまりめでたくなく、最初の会員名簿には名前が漏れてゐた男であるから、これは強硬に反対した。そこで、たうとう、査閲委員といふやうなものを作つて、この日記を一応読んでみることになり、差支がなかつたら出版するといふことを天下に約束した。ところが、セアアル自身もその委員のうちに加はつたので、天下は唖然とした風であつた。
 さて、近頃また、「日記」で話の種を蒔いたのは、例のルナアルである。
 この方は、作者の死後十五年を経て出版されてゐるが、別にそれは遺言によつたものではなく、細君のマリイさへ、夫が生前そんな日記を附けてゐることを知らなかつたくらゐで、偶然出版書肆ガリマアルの
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