御承知の通り、最近、新劇行詰りの声が聞え、その対策について、各方面でいろいろな論議が交はされてをりますが、その論議たるや、多くは何等かの主張に基く一個の芸術論でありまして、それは固より結構であるとしても、それだけでは、各人各個の仕事を特色づけることにはなりませうが、一般演劇界の注意と関心を惹くに足りないやうに思はれます。仮にまた、もつと根本の問題について誰かの意見が発表されたとしましても、これまた多くは、単に批評的であるか、又は、消極的助言にすぎませんから、「なるほどそれに違ひない」と云つて、すまされてゐるやうな状態であります。
殊に、最も、注意すべきは、それらの論議そのものに於て、われわれは、真に、相手の「精神」を汲み取つてゐるかどうかといふことです。
お互に、「こんなことは云はなくてもわかつてゐる」と思つて、その点には触れずにゐることが、案外、それを云はないために、重点のおきどころを誤り解されてゐるといふ場合が多いと思ひます。われわれ新劇にたづさはる者ならば、当然、解り合つてゐなければならぬことが、どうしたわけか、さう行つてゐないといふ事実を、皆さんはお気づきになりませんか。こ
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