を食ふといふことは、凡そ最近の新劇関係者間には行はれてゐないことでありました。
さういふ機会が若しあつたとすれば、われわれ皆なが口を揃へて、「新劇はつまらん」などと、世間に向つて云へた義理ではないのであります。
ところで、めしの時間まで、少し暇をおきましたのは、話よりめしの方に気を取られるといふ心配があつたからではなく、一円の料理では、さう皿数を重ねるわけにも行くまいと思つたからであります。
で、それまでの時間を利用して、皆なさんに、いろいろの御意見を伺ひたいと思ひます。
どなたかに、急に司会者の役をお願ひしたいのですが、急にお引受け下さるかどうかわかりませんから、これまた僭越ながら私が進行係を勤めます。
予め一つ提案をいたします。この席へは、何人も義務を負ふて出席してゐるのではありません。で、討論を避けたいと思ひます。但し、質問はこの限りに非ずといたしては如何でありませう。
それからもう一つ、めいめい自己紹介をする必要があると思ひます。そちらから次々にどうぞ。
議題といつては大袈裟になりますが、最初のことでありますから、お話の中心を一つきめておきませう。
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一、一国一時代の演劇文化から、新劇といふものが日本のやうに孤立してゐる国は、どこにもないと思ふ。つまり、一般の商業劇場の水準がもつと引上げられるか、所謂今日の新劇がもつと職業的に自活し得る能力をもつか、そのどちらかでなければ、これからの若いジェネレエションは勿論、われわれ自身が既に非常に仕事がしにくいやうに思ふ。われわれの共通の目標は、芸術的立場を離れて、一応劇壇の主流をさういふ状態に早く導くことにあるのではないか?
一、現代の俳優はどうして生れないか?(近代人の頭脳と感覚をもつた俳優)
一、われわれが自分一個の好みからでなく、日本の演劇的文化のために、是非なくてはならぬと思はれるやうな、つまり標準となるべき新しい演劇とはどんなものだらうか? 標準のおきどころにもよるし、経営の方針にもよるが、一般大衆の芸術的教養が今のままだとしたら、当然、さういふことをも考へに入れて、しかも、一方、劇場の文化的意義を果し得るやうな演し物が、果して、われわれの頭のなかで想像ができるか?
一、現在あるいろいろな新劇団は、最早、芸術史的に、新しい傾向を追ふとか、それを生
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