ずしも、そこに、党派的な感情が盛られてゐるからといふのではありません。党派的感情は、排他的でさへなければ、それほど苦々しいものだとは考へません。しかし、それ以上に、大きなものです。つまり、冷たいことです。
 これは決して、他を批評する言葉だけではありません。自分自身の今までを省みて云ふのです。
 芸術家は、自分の芸術に対してのみ熱情を傾ければ、それでいいのかもしれません。が、わが、新劇は一人の天才を要求する前に、その天才を生ましめるべき母胎を要求してゐます。その母胎は、現在、手は手、足は足で、ばらばらの状態です。われわれの熱情は、先づ、その母胎の生成、即ち、新劇関係者相互の理解と親睦に至る交友的接触に向けらるべきではないでせうか?
 協力の指針と、公明正大な批評とが、将来の新劇を黎明に導くものだと信じます。
 その意味で、今度、村山氏らが提唱してゐる日本新演劇協会の設立といふ問題を、例の劇団の大同団結、乃至所謂単一劇団の結成といふ中心運動から引離して、単に、新劇関係者の親睦連絡機関といふ意味で、一つ、研究してみてはどうかと思ひます。ある組織の中に加はるといふことは、われわれには、なんとなく負担に感じられますが、その組織が、何事かを強ひる性質のものでなければ、提案者の如何に拘はらず、いや寧ろ、われわれ一同提案者となつて、その実現を計つてはどうかと思ひます。



底本:「岸田國士全集22」岩波書店
   1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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