ば、「詩」はいらぬといふわけではあるまいし、「人生的主義」を伝へるために、最も「言葉の効果」に敏感な神経を働かせればよいのである。が、双方は、何れもその主張に於て、自ら恃むところを、強調するのは已むを得まい。
 北欧系は、「人生に正面からぶつかる」ことが文学の本道なりと云ひ、南欧系は、別にそんなことは何とも云はぬが、内心、「人生の脚を掬つ」たり、「睾丸をつかむ」ぐらゐ平気だと考へてゐるらしい。どうかすると、「人生の脇の下をくすぐつて」大いに悦に入ることもある。これが北欧系の気に入らぬ点で、「それは相撲の手ではない」と云つて腹を立てるのである。南欧系は、とぼけて、おや、「おれは相撲を取つてゐるつもりではなかつたが」と、苦笑するなど、甚だ意志の疎通を欠く次第である。

 これはまた別の分類法であるが、前述の二傾向に関係なく、特別の名で呼び得る一派がある。
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一、近代主義一派。これは、云ふまでもなく、未来派、表現派、ダダイズム、構成派などの芸術的新傾向の追従者で、多くは北欧系に属する作家であるが、もうそろそろ、南欧系の中から、例へば、コクトオやリイ
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