ィヤ、露西亜、及び独墺の作家から影響を受けたもので、それら様々の作家の思想、形式、手法、色調を幾分づつ受継いだもの。この一派は戯曲に「力」を要求し、「深刻さ」を求め、従つてその戯曲中に「人生の意義」を、「社会の問題」を描かうとし、従つて、人物の性格も暗く、沈鬱で、理窟を好み、時によると喧嘩ばかりしてゐる。とは云ふものの、それは北欧作家の共通点でなく、日本の北欧系作家が、その点を強調してゐるだけである。これらの人々の中には、ドラマによつて「魂をゆすぶられ」、「心臓をつかみ出され」ることを望み、「ドカーンと丸太棒でぶんなぐられるやうな不愉快な」目に遭ふことを此の上もなき愉快なこととしてゐる人々がある。
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 尤も、この一派が、特別に、さういふ要求をし始め、さういふ旗色を鮮明にし出したのは、次に述べようとする一派が擡頭し出したからであることは云ふまでもない。その一派とは、即ち
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二、南欧系。南欧系と云つても、主に仏蘭西作家のあるものから影響を受けたやうに思はれてゐる一派であるが、この一派は、まだその数も甚だ少く、殊に、年少の無名作家中に時々見るくらゐなもので、北欧系の人々が考へてゐるほど有力な傾向ではない。この方は、仏蘭西のどの作家から直接影響を受けたのか分らない。仏蘭西にそんな傾向があるのかどうかも分らないが、人々がこれを仏蘭西的であり、南欧的であると呼ぶ理由は、多分これらの作品の多くが軽いスケッチ風のものであり、「力」よりも「香り」を、「深さ」よりも「ニュアンス」を尊び、「人生の苦悶」を苦悶としては取扱はず、寧ろ多分のファンテジイによつてこれを喜劇化し、「社会の冷酷」さを描くよりも、その冷酷さに堪へ得ない人間の自嘲を、又はその冷酷さを憤る人間の泣き笑ひを、理窟抜きに暗示することで満足してゐるからであらうか。この傾向は、一面、信念なき軽薄児の遊戯的人生観とも見られがちである。また、実際さういふものもあるにはある。それは、作家自身の問題である。傾向の罪ではない。或は、南欧人は北欧人よりも軽薄であるといふ見方と、いくらか関係があるのかもしれない。
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 北欧系が「思想らしきもの」を重んじ、舞台の「動き」を尊重するに反し、南欧系は「詩」を重んじ、「言葉の効果」に神経を集める。「思想」があれ
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