とは早計であるが、今は、僕の理論を実行するものとしての話である。それはさうと、稽古の方法までこの機会に説明することはできないけれど、要するに今のやうな有様では、いつまでたつても「新しい日本劇」は生れて来ないと云ふまでである。
「そんなことはとつくの昔、百も承知である。やらうと思つてもできないだけだ」と、捨台詞を投げ付ける人もあるだらう。「金がなければ芝居はできない」とは、これまで新劇運動に絶望した人の合言葉である。然しこれまで、新劇運動を起した人の大部分は、現に金が無くても芝居をした人なのである。そして金が無かつたから、その運動は無意義であつたかと云ふと、決してさうではなかつたのである。
こんなことを云ふのは余計なやうであるが、「そんなら自分でやつたらどうだ」と、変に皮肉る人が無いとも限らないから断つておくが、僕は実際やりたくて堪らないのである。悲しい哉、芝居といふものには相手が要る。相手と云ふよりも相棒が要る。やかましく云へば同志が要るのである。人にやれと云ふのではない。然しながら、これまた誰とでも一緒にやればいい訳のものではない。僕は先づ機会ある毎に自分の意見を発表し、有力な共鳴者の出現を待つてゐるのである。
新劇運動の一考察――甚だとり止めもない議論に終つたが、何しろ稿を練る暇がない。
終りに臨んで、新劇運動の一部とも見るべき外国劇の移入に関して、私見を述べておきたいと思ふ。
元来外国劇はわれわれ演劇研究者にとつて、独逸人が露西亜劇に対し、又は英国人が独逸劇に対し、仏国人がスカンヂナヴィヤ劇に対し、それぞれ有つてゐるやうな興味、つまり外国劇としての興味以外に、彼等が一様に、その国の古典劇乃至は欧洲諸国の共有とも云ふべき、希臘より文芸復興期に至る古典劇に対して有つてゐる興味、それからもう一つは、彼等が同時代の自国作家に対する興味、この二つの興味をも併せ有つてゐるやうに思はれる。
われわれは、なんと云つても、日本の作家からよりも、外国作家から多くのものを学んでゐる。(受け継いでゐるとは云はない)それと同時に、現在日本に生れつつある作品にやや失望して、外国の作品により多くの期待と感興とを有つてゐることは事実である。
これは勿論過渡期の一現象であらうが、さういふ場合であるから、われわれが若し、外国劇をわれわれの舞台に上演しようと思へば、以上述べたやうな興味
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