肝要である。作者の思想は、演劇に於て、特にかくの如き姿をもつて示されるのが、近代の礼節だと私は考へる。これは勿論、煽動的大衆劇のことを云ふのではない。「夜明け前」は、芸術的には寧ろ渋く、神経のよく行き亘つた演出であつたに拘らず、思想的に、見物を幼稚なもの鈍感なものとして扱つたところに、多少の誤算が生じたのであらう。それが、どちらかに統一されてゐたら、もつと「商品」らしく、購買慾をそそるものになつたであらう。
 戯曲はないないといふが、それこそ、外国の優れた「現代劇」を、日本の舞台に、見物に適するやうアレンヂすれば、いくらも間に合ふと思ふ。但し、俳優がゐさへすればである。外国の作品は、日本の作家のやうに、人物の倹約などしないから、一つの脚本を上演するとなると、種々雑多な型の俳優が必要である。英雄らしい人物も出て来る。堂々たる風采の紳士も登場する。教養のある淑やかな娘、生活で磨かれた老人、飄々乎たる善良な労働者、目立たないがよく見ると帳簿の数字が顔に刻まれてゐる中年の事務員、こんな人物になりきれる俳優が一人でも日本にゐるかどうか? これがゐなければ「現代劇」はおぢやんのぢやんである。旧劇や
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