るものである。つまり、目標が曖昧なことで団結力が鈍ること、個人個人の努力が全体として酬いられないこと、経済的には消極政策が唯一の安全な道であること等、劇団としての発展を阻害する理由がいくらでも挙げられるのである。
しかしながら、俳優としても、作家としても、この分野に於ては個人的な素質といふ点では決して人材に乏しくはないのである。しかも、それらの人々は、将来、協力する舞台といふものがなければ、それ/″\の力量を発揮し、倶に伸び育つ機会がまつたくないと云つていゝ状態であるから、これは今のうちになんとかせねばならぬといふので、去年の六月あたりから、有志のものが集まつて寄り寄り協議を進めつゝあつたのが、例の「文学座」の創立となつたのである。
ところが、この「文学座」こそまだ陽の目を見ぬうちから思ひがけぬ幾多の障碍にぶつかり文字通り生みの悩みを味はつた。それは、云ふまでもなく、結成と同時に、今度の事変、相次いで、有力な座員の一人友田恭助君の出征、間もなく、その戦死である。われ/\は、しかし、敢然と第一回の公演を計画した。ところが、友田君の遺骨が着かぬうちはといふので、田村秋子夫人は出演を肯んじない。無理もないことであるが、配役の関係上そのためにこの公演は延期するの止むなきに立ち至つた。
文学座はしかし、公演を急いではゐないのである。われわれとしては寧ろ、この運動の主眼目を、俳優の訓練、即ち、劇団としての演技力の向上におかうと思つてゐる。厳密に素質考査を経た未経験のものを本格的に教育する外、既成の俳優を、根本から叩き直す方針である。そのために演技研究会といふものが既に活溌な仕事をはじめてゐる。
俳優術修業の正統的なメソードを発見することは、日本現代劇樹立のための第一の急務であると私は信じてゐるから、文学座の希望は、今のところ、かゝつてその成否にあるのである。
とは云へ、劇団存立の生命はたしかに、舞台を通じて示さるべきものであることを疑はぬ以上、ひと通りの準備が整ひ次第、この三、四月の候を期して第一回試演を行ふつもりである。
新劇の歩むべき道が、果して、この時局によつて狭められたかどうか、われわれは、結果について知り得るのみだと云ひたい。
こゝで特に披露しておきたいことは、前掲の「演技研究会」は、文学座座員に限らず他の劇団に所属する俳優諸君も随時参加を歓迎し、共に研
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