ただあるものは、商業主義の盲断と、これを繞る因襲の跋扈のみであつて、演劇そのものは、呼べども応へざる遥か彼方に、多分猿轡をはめられて、殺せ! 殺せ! と藻掻いてゐることでせう。商業主義も可なり、因襲も亦可なりですが、演劇の社会にあつては、一方、これを刺激し、これを誘導する創造的機運が、そのどこかに動いてゐなくてはなりません。そしてそれが、絶えず何等かの形で表面に浮び上つてゐなければなりません。
わが劇壇の現状は、遺憾ながら、かういふ機運の成長を阻むあらゆる要素から成立つてゐるのです。…………………………………………………………………………………………………』
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そこで、早速、本論にはひりますが、今日までの「新劇」といふものは、大体、その結果から見て、一つの役割を果したといつてよいのです。元来、新劇の成立は、西洋劇の紹介から出発したもので、旧劇にもあらず新派劇にもあらざる国劇の樹立といふ名目は、名目としては立派でありますが、まだその緒にもついてゐません。ところが、西洋劇紹介の方面では、紹介の方法こそ限られてゐましたが、過去数世紀に亘る欧洲劇壇の歩みを、近々十数
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