処では「辛ふじて観てゐられる」やうな芝居ばかりを、あまり長く観せておきすぎた。これが、好意ある見物を次第に失つて行つた最大の原因である。
なぜさういふ結果になつたか、いふまでもなく、当事者は、ただ、限りある「出し物」と「演出法」との工夫に没頭して、無限の変化と向上とを期し得る俳優の技倆について、不思議なくらゐ楽観的であり、少くとも、(どうかしよう)といふ意志の実行を怠つてゐたやうに思はれる。勿論、優れた俳優を探し求めはする。全くそれを顧みなかつた例は知らないが、その探し求める手段は外部的であり、一時的であり、行きあたりばつたり式であり、「あれはなかなかよささうだ。一つ引つ張つて来い」式である。そして一度、何々劇団の何某たる地位を占むるや、あとは、宣伝を以て能事終れりとし、「有名」になるほど、「下手」になるのを常とする。おまけに、その何某の脱退によつて、何々劇団は不具者となるのである。
私は、先年、わが劇壇の快事たる築地小劇場の旗揚げに際し、聊か卑見を述べて、俳優養成の急務たることを説き、爾後、機会ある毎に、この点に触れたつもりであるが、最近、同劇場文芸部の北村喜八氏が、恐らく、私
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