ないものも若干はあるが、所謂ブウルヴァアル劇場と呼ばれる「社交劇場」に於てさへ、相当芸術的価値ある新作現代劇を上演してゐる。ここで、現代劇と限つたのには十分理由がある。何故なら、たまたま時代劇を選んだとしても、それは、現代生活に十分相通じる処のある文学的作品で、殊に、所謂古典劇より明瞭に一線を劃し得る新鮮味に富んだ舞台であるからである。例へば、クロオデル、ロスタン、ポルシェ等の作品が、如何に中世を、帝政時代を、又は「仮想の時代」を描いてあるとはいへ、それを以て、「現代劇」に非ずと断言し得るものがあらうか。否、それよりも、シェイクスピイヤ、カルデロン、モリエエル、ミュッセの作品でさへも、それぞれ、クレイグ、ラインハルト、コポオ、ギイトリイの手によつて演ぜられる時、誰がこれを「古典劇」であるが故に、「われわれの生活に縁の遠いもの」と断言し得よう。
わが旧劇は、それが歌舞伎劇の名によつて、一部好事家の随喜に値するものであるにせよ、その観衆の大部は、決して仏蘭西の民衆が、その古典劇に対して払ふやうな尊敬も払つてはゐないのみならず、たまたま、現代作家の手になる「新作時代劇」に対してさへ、仏蘭西
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